淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

5月に読んだ本をまとめましょう

4月後半から現在(5月中旬)に読んだ本紹介

 

こんにちは。

しばらく書いてなかったブックレビューを久々にやろうかなって思った。ふと。

きっかけは平山夢明のDINERを読み切ったから。読積してた本の中でも特に気になったやつだったし、読み始めたら面白くて二日で読んでしまったから、勢いそのままキーボードを叩いている。凄い頭疲れてるけど。

 

 

 

 

 

 『愛とためらいの哲学』岸見一郎

『嫌われる勇気』で一躍人気になったアドラー…を専門とする心理学者岸見一郎氏。

全世界待望のアドラー(を中心とした)恋愛哲学書PHP新書から発刊された。

 

哲学とタイトルにあるが、けしてアルケーとかプシュケーといったカタカナ語でマウントを取ってくる頭でっかちな専門書ではなく、誰にでもわかりやすい語り口でこれまでの恋愛にもう一歩踏み出す勇気を与えてくれる。

そして読み終わった時に「愛する技術」を手にする。実践しなきゃ磨かれないスキルなのだが。

 

ちなみにモテたいといった一方的な願望欲求を叶える魔本ではない。

 

 

 

(お金持ちや地位がある人をパートナーに選ぼうとする打算的な人にたいして)

「このように考える人がいう『幸福』というのは、実は『幸福』ではなく『成功』だと私は考えるのですが、今はこの問題には立ち入りません。(中略)アドラーは、そのような人は『誰か他の人を犠牲にして自分の価値を誇張する』人だと言っています。」

(p.96)

 

 

 

 

 

『誰も戦争を教えられない』 古市憲寿

社会学界のジャックナイフ古市憲寿講談社+α文庫からは二作目。

この講談社+α文庫のカバーの質感と帯のデザインと文庫のサイズ感がとても好きだ。分かる?

「現代の戦争博物館にはエンターテイメント性が求められている」と不謹慎スレスレの論説が軸となっている。しかしこれは傾いた意見でも暴論でもない。彼はミーハーに染まった一般論に鋭い切り口で疑問を問いかけ、客観的視点から持論を展開していく。

 

本書の中で古市氏は日本のみならず、世界にある様々な戦争博物館に訪れる。

戦争博物館こそがその国が抱える「戦争の姿」を明確に表していると考えたからだ。戦勝国と戦敗国、ヨーロッパとアジア、資本主義と社会主義、その対比構造の中に戦争の像の相違がないわけがない。それぞれの歴史に第二次世界大戦はどう彫られているのか。そしてまた個人が持つ「戦争」とはどれほど曖昧なものなのか明らかにしていく。

 

「戦争はただただ悲惨なもの」と教えられてきた僕たち。

果たして僕たちは「戦争」のなにを知ってるのだろうか。

 

 

「開口部が大きく設けられた館内からは、とにかく空がよく見える。僕も沖縄で気づかされたように、気象現象こそが実は最も手つかずで残され、当時を感じることができる戦争の風景だ。」(p.266)

 

 

 

『ポジティブ・チェンジ』DAIGO

 

メンタリズムでお馴染みのDIAGOさん。最近めっきりテレビで見なくなりましたが、それは仕事をテレビから執筆と講演にシフトチェンジしたせいだ。どちらも好評を博している。凄い。

また彼はyoutuberとしても活躍している。

ワイン片手に軽快な語り口でペラペラ話し続けるその姿はとても優雅だ。そして話題の核に触れようとすると…続きは有料会員専用。うーんビジネスがお上手。

 

自己啓発はあまり読まないのだが、DAIGO嫌いじゃないし評判がいいため読んでみた。冒頭には「人間が変われない理由」を明確に提示したうえで、DAIGO流の人間改革法が列挙されていく。

内容は全体的に具体性が濃く、逆に曖昧な根性論はあまりない。ところどころに可愛い絵や図も散りばめられておりとても分かりやすい。自己啓発本の一冊目にはちょうどいいんじゃないかな。

 

「本当に自分を変えたいなら、他人と比べた時点でアウトです。なぜなら、他人と比べる人は、自分を変えようとするのではなく、他人になろうとしているからです。」

(p,54)

 

 

 

 

 

『DINER』平山夢明

サイコパスホラー小説といったら平山夢明

首筋がゾクゾクする設定はもちろんのこと、やっぱり期待しちゃうのはえぐい比喩表現。今作でも鋭く尖った天才的ワードセンスが読者の心臓を打ち付けてくる。

『DINER』は今年7月5日に藤原竜也主演で映画化も決まっている平山の代表作の一つだ。

殺し屋専門のDINER(定食屋)で繰り広げられる殺し屋による殺し屋のためのおもてなし。ひょんなことからそこでウエイトレスとして働くことになった一般人オオバカナコ。癖が強すぎるお客を前に、はたして彼女は完璧な接客でおもてなしすることができるのか。生き残ることはできるのか。

 

やはりグロテスクな表現が大変多いため苦手な人にはおすすめできない。しかし考えてみてほしい。いわばただの線の集合体である「文字」だけでここまでの残酷な描写を脳内に想像させ、不快感を抱かせるのだから、この作家の憎めない天才的センスにはほんと感心する。 

 

「プシュッと西瓜を潰すような音と共に男の顔が破裂し、なまあたたかいものが、まともにわたしにかかった。(中略)ドシャッ。と男だったものが尻餅をついた。首から上は見たこともない奇妙なものに変わっていた。安い薔薇の花束みたいだったけど、脇には耳と髪の毛が付いていた。』(p,138)

 

 

 

 

 

ざっとこんなものです。ああ眠い眠い…

 

ではでは。