淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

好きの向こう側にあるもの/『おまえじゃなきゃだめなんだ』(角田光代)

『おまえじゃなきゃだめなんだ』(角田光代

人を好きになって味わう無敵の喜び、迷い、信頼と哀しみ、約束の先にあるもの---すべての大人に贈る宝石のような恋愛短編集

あらすじより 

 

 恋愛小説は面白い

 男のくせに恋愛小説が好きという変わった人間である。この好きには明確な理由があり、けして恵まれないリアルから逃避するための道具として他人の恋愛で心を埋めているわけではない。(潜在的な憧れ意識はあるだろうけど)

 なぜ恋愛小説が好きか。それは恋愛小説は話がいたって単純でわかりやすいからである。どんな小難しい主題が根底に眠ってようとも恋愛が挟まれる限り、軸となるのは相手を想う気持ちである。その気持ちによって世界は動き出し「出会い」または「別れ」または「その両方」が綴られていく。これ以上に始まりと終わりがわかりやすいジャンルはない。

 そしてまた恋愛小説にはたくさんの気づきがある。小説なので著者の代弁者としての登場人物に過ぎないかもれないが、彼ら彼女らの言葉に確固たる想いを感じる時が多々ある。その言葉を目にしなかったら「好き」の一言で片づけていたであろう想いであったり、性差的な意思の相違であったりと、娯楽としてだけではなく学びの書としての側面もある。

 また辛い経験をしたときに救いの書となってくれることもある。「最悪だ…」と恋愛関係で落ち込んでいるならば、一度小説を手に取ってみるといいかもしれない。なぜなら同じような恋や愛に苦しんでいるストーリーが書かれているかもしれないからだ。遡れば万葉集に書かれていることもある。同じような苦しみを多くの人が経験し、また創造の産物としても書かれているんだと知ることで、孤独な苦しみから解放されるかもしれない。

 そんなこんなでそれっぽい理由付けをしたが、結局は「面白い」から読むわけで、人によっては面白くないと、人の恋愛に現を抜かしている場合じゃない、と思う人もいるだろうジャンルでございます。おすすめはするけど人を選ぶジャンルということで。ただ、読みすぎると思想がロマンチスト化するので用法、用量を正しく守ってお使いください(体験談)

 

それで今回は角田光代さん!3回目の登場です。大好きか。

前回は映画化した話題作「愛はなんだ」を取り上げました。

reyu.hatenablog.com

前々回は穂村弘さんと共に男女を語り合ったエッセイ「異性」を取り上げました。

reyu.hatenablog.com

で、今回は『おまえじゃなきゃだめなんだ』

うーん、タイトルにダメ男が醸し出す不穏な空気を感じ取ってしまうのは心が汚れてしまったからなのでしょうか。素直に告白と捉えることができません。

今回は短編集ということもあり、数ある話の中から抜粋して紹介していきたいと思いますー

 

⑦共栄ハイツ305 杉並区久我山2-9-××

10年前の24歳だったあの頃の自分を「自分史上最強」と思い返して始まるストーリー。

一言でいえば「年下ダメ男に惚れてしまった24歳女性のお話」

一緒に暮らしているが、「生活」がない現状に不満を持っている「私」が欲したのは「ごくふつうの、ありきたりな、退屈な、煩雑な、色あせた生活」(p.208)だった。しかし彼と共に部屋で過ごす時間は一向に増えない。

共同生活が存在しない空間の寂しさは耐え難いものだろう。しかしそこで怒りや不満を爆発させない「私」はまるで備え付けられた家電のようにも思えた。そこに「いる者」ではなく、そこに「ある物」のような。

なぜ爆発させず物として家電のようにじっと待ち続けているのか。読者の俺目線から見ると意味不明だが、この意味不明感が恋愛物語の醍醐味である。

そして「私」はようやくおかしいと気づき恋を整理しようと熟考するが、これはよくあるパターンで逆に頭の中が彼で占領されていってしまう悪循環。結局彼を忘れるために「私」が取った行動は彼じゃない男とこの「安宿」(皮肉が効いたいい表現)で寝ること。多くの男性と寝ることで共栄ハイツ(安宿)から『生活』へと連れ出してくれる運命の人を探し求めていた。しかし都合のいい女性に都合のいい王子様がのこのこ現れるわけがない。そもそも男からしたら友人でもないオープンな女=簡単な女でしかないわけで、そこに将来的な展望は一切存在しないのだ。

結局、「私」は一方的な期待と一方的な裏切りで一人芝居状態になっていたと思う。


そして26歳の夏。生理が突然止まり、誰の子なのか不安げになりながらも彼に妊娠の可能性を告げると、彼は一言

「うん、わかった、いっしょに育てよう」

これは表面的な言葉とは裏腹になかなか残酷な現実を突きつけている。

重大な出来事を目の前にしても全く変わらない彼の発言、それは子供が生まれたとしても彼が変わることはなく、つまり『生活』することもないと告げる言葉だった。その言葉を聞いて「私」は涙する。けしてうれし涙ではない。そこまで分かっていても、それでも抜け出せない自分への涙だった。

「私」は当時住んでいた共栄ハイツを思い出す。残っているのは様々な畳の目だけ。

「私」の中に最後まで彼との「生活」の記憶はなかった。

 

消えない光

 
『結婚しようとする若い男女』と『離婚ようとする大人な男女』の対比構造で描かれた作品。

この話は「指輪」にスポットライトが置かれている。ここでいう指輪とはもちろん婚約指輪、結婚指輪のことである。

さて、そういった特別な指輪が欲しいという人はどれくらいいるだろう。形式的に買っておくかと流れで買う人もいれば、絶対欲しい!と気合を入れて購入する人もいるだろうが、結構な数「いらないでしょ」という意見の人もいるのではと思う。ちなみに自分は「お金ないなら、いらなくね」派だった。しかしきっと読み終わった時「指輪買おうかな…」と心が動いている人も少なくないだろう…

この作品での「指輪」は大きな意味を持っている。それは「目に見える愛の形」だ。


「結婚というのは、好き、とか、いっしょにいたい、とかの、もっとずっと先にあるのものじゃないか。」

これから混ざり合っていく二人が選んだのは、永遠に輝き続けるプラチナの『婚約』指輪

 

「自分たちの日々の区切りとして、もしそういうとくべつな何かがあったとしたら、きっと今、おれたちの気持ちはそこに戻っているんだろう」p.275

混ざることがなかった二人が選んだのもまた、永遠に輝き続けるプラチナの『離婚』指輪

 

それぞれは選んだ愛の形は同じプラチナリング。それが示すのは永遠である。大切な人との出会いの先も、そして別れの先も「永遠」を望む。…なんかロマンチックだね(小並感

 

てか、これはぜひ読んでもらいたいので話の内容は避ける。

ぜひ手に取って読んでもらいたい。

 

終わりに

夏も終わりますねー。

もうそろ9月と言えば、○○の秋とかわけのわからんレッテルを張られる季節ですね。

一番過ごしやすい時期なので自分は大好きです。染まる紅葉に顔隠す月を見上げながら酒盛り……なんて乙ですな。

reyu.hatenablog.com