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やるせない26歳が綴るこれは独り言

ターミネーターニューフェイトを語る。(ネタバレ有)

ターミネーター ニューフェイト

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出会いは運命の先で結ばれる。真っすぐに伸びていく一本の線を辿った先にそれはない。長さも太さも色も素材も違う存在が複雑に絡み合うところに出会いはある。

その出会いは人に限らない。様々な趣向を持つ者同士が接触したときにふとあがった「一言」が大きく人生を変える出会いになることがある。努力や頑張りを必要としない変化を望む現代人にアドバイスをするのであれば、やはりきっかけとなる出会いを探すことが一番の近道になるだろう。

だが、探さずとも出会いは目の前に現れることもある。肉体的にも精神的にも幼かった小学生の私を大きく変えるきっかけになった偶然の邂逅は、人間ではなく、一つの作品との出会いだった。それは「ターミネータ2」(以降T2)である。

 

まだ幼かった私がなぜターミネーターを見ることになったのか。そのきっかけは覚えていないが、初めてT2を見ていたあの日の光景、ターミネーター2が荒く映っているブラウン管テレビと隣に座る母がいるその景色だけははっきり覚えている。

母はターミネーターシリーズのファンである。仕事や家庭における性格はかなり慎重で堅物だが、エンターテイメントにおいてはかなり雑食で、アニメーションでなければジャンルを問わず様々なものに手を出す。俺が生まれる5年前の1991年。街にいても、家にいても、職場でさえうるさいと不快に感じるほどある作品の広告が放流されていた。それこそ「ターミネーター2」。母になる前の母はその広告に魅かれて劇場に足を運ぶ。たったそれだけの出来事がその後生まれる息子にまで影響してしまうんだから、つくづく出会いの力というのは恐ろしいものだと思う。

 

T2に関する話はまた別の時にするとして、今回はその正当な続編として公開された「ターミネーター ニューフェイト」についてしっかり語ろうと思う。ネタバレなしで勢いそのままフランクに書いた記事もあるので気になる方は以下のリンクからぜひ飛んでみてほしい。

reyu.hatenablog.com

 

CGの力に恐怖を感じる

精神病棟で問診を受けるサラ・コナーの映像から物語は始まる。T2を見た人なら懐かしさを覚え、これから始まる物語への期待感を抱くであろう。正当な続編と銘打っていることへの覚悟が伝わってくる。

しかし、本当のビックサプライズはここからだった。なんとT2当時の姿形をしたサラコナーとジョンコナーがスクリーンの向こう側に’’いる’’のである。けして昔の映像を編集加工しただけの使い回しではない。今、1991年のコナー親子が完全にそこに’’いる''のだ。肉体が引き締まった35歳のリンダハミルトンとあどけなさと美しさを持った14歳のエドワードファーロングが、いる。開いた口が塞がらない。映し出される審判の日を回避し、南国の海岸で佇むコナー親子。けして語られなかったなかった『後日談』そして作られることはなかったT2後の世界が目の前に広がる。あまりにも突然すぎて感動が追い付かなかった。私がここで目に焼き付けようとした構えていたのは老いたリンダハミルトンとアーノルドシュワルツェネッガーでだった。若かりしリンダはまだしも、まさか幼いエドワードが出てくるなんて想像もしていなかった。

さらに物語は一気に畳みかけてくる。幸せそうな二人の目の前に現れたのは、アーノルド・シュワルツェネッガー演じる殺戮ロボットT-800。これも、1991年の姿をしたシュワちゃんだ。そしてT-800はためらいなくジョンに向けて引き金を引く。ターミネーターはジョンを殺したのだ。殺そうとしたではない。殺した。床に倒れ、意識が果てていくなかで微かに目を開くジョンの色白な顔。その表情に全く違和感を感じさせない。死に至る人間に異常な生が宿っているような人工物の表情に私は恐怖を感じた。

ジョンは死んだ。ここがこれからのターミネーターのスタートラインになる。スカイネットの暴走により終焉を迎えるはずだった審判の日を回避した世界線ならば、抵抗軍のリーダーを務めるジョンコナーという存在は必要ではない。また神格化されてしまったT2を清算する必要があった。そこで取った手が「ジョンの退場」だったと考える。

この展開は賛否両論だろう。あまりにもジョンの最後があっけなさすぎるからだ。そしてまだ幼いジョンを退場させることは、T3、T4、T5と繰り返される戦闘によって大胆な整形手術を施されたとした思えないくらい顔つきが変わっていったジョンコナー達を全否定することにもなる。これまでのシリーズの全否定。『正当な続編』と宣伝しつつも、俺が正当なんじゃと言わしめんばかりの展開はかなり乱暴だとも思った。だが、このくらい一方的にかつ無理やり変革を起こさなければ、最高傑作の呪縛は解けない。

そのシーンを見て私は確信した。

本当にシュワちゃん達のターミネーターの終わりが始まったのだと。

 

これでいい、これがいい。

さて肝心なストーリーに言及していこう。ずばり言い切ってしまうが、ストーリー自体はかなりおざなりなものだったと思う。ご都合主義すぎる箇所が設定にもシーンにも多すぎた。最先端CGを駆使した戦闘シーンは手に汗握る展開になっていたが、あまりにも突拍子もない戦闘環境や目が回るほど縦横無尽に動き回るカメラワークにはただカッコいい演出がそこにあるだけだった。新型ターミネーターの圧倒的な力に恐怖を感じるが、T1、T2のような追われ続けることへの恐怖は一切ない。

ところで新型ターミネーターREV9はなんと日本人がデザインしたらしい。このREV9は液体型ターミネーターの特性も持ちながら、外殻と内殻の二体に分裂することが可能なターミネーターだ。確かに強そうだけども、やはりT2に出てきたの元祖液体型ターミネーターT1000と比べると性能的にも魅力的にも劣っている。同じ体から分裂した双子のような存在なのに戦闘ではコンビネーションを取らずに別々で戦い、その特性を生かせない。と機能面は酷評しながらも、そのふるまいは魅力的なものだった。REV9を演じたガブリエル・ルナの所作はまさに人間をまねるロボット。従来のターミネーターには見られなかった明るく軽口も叩けるコミュニケ―ション力を持ってターゲットに接近していき、冷酷な殺人鬼として命令を遂行する。人との接触を人よりも上手くこなす機械。積極的に人とのコミュニケーションを試みるAIはどんな命令を受けて私たちとのコンタクトを諮っているのだろうか。

作品内容はどこをとってもかなり単調だった。ご都合主義満載の想定内のエンディング。だが、これでいいのだ。そもそもT2を超える作品になるとは毛頭思っていない。CMを見た時点で察しは付いていた。ネット上では早くも爆死だの大ゴケだの酷評が目立つが、私は大満足の作品だったと思う。なぜなら私にとって一番重要なことはそこにサラコナーとt800がいること。私はこの二人を見に来たんだのだから。

シュワちゃん、リンダ、二人ともお疲れ様

 これはターミネーターの続編であり、一つの節目。同窓会でありお別れ会。

もしターミネーターをSF作品として期待して見に行ったのであれば、かなりの不満が残るだろう。さらにT1とT2を見ていない人にとっては、CGをふんだんに盛り込んだ勢いだけのB級映画にも見えるだろう。これは完全に’’ずっと二人を待っていた人向け’’の映画だ。

ラストシーンはまさに一つの終わりを告げるものだった。瀕死状態のT800がリンダを見上げ、満身創痍のリンダがT800を見下す。何度も見た構図。想定していたラスト。だが私の目からゆっくりと涙が溢れてきた。ターミネーターなのに年を取っちゃったシュワちゃん。ただの怖そうなおばあちゃんのリンダハミルトン。CG技術で若返らせることなく、今の姿で最後まで演じきったことには意味がある。じっとリンダを見つめるターミネーターの目には哀愁がにじんでいるように感じた。ターミネーターのエネルギーが切れ、そして物語は終わった。T2という最高傑作に縛り付けられていた私はようやく解放された。

お疲れ様、シュワちゃん達。ありがとう。