「彼女が欲しい」と叫びたいけど
出会いの場はどこに。
「彼女が欲しい」と叫びたいけど、彼女がほしいと呟いている男なんかと誰も付き合おうと思わないだろうから俺は呟かない、とブログに書き綴る。
なぜ彼女が欲しいのかと言われれば、それはまず男のプライドが先行し、その後ろに世間体、並行して性欲、最後尾には包容力を求めているからだろうか。なんであれ異性への欲求なんて根源は生物的な欲でしかないのだから内訳なんか計算してもなんの意味も成さない。とすまし顔で書いてるけど内心けっこう焦っている。
そもそも母数が「0」では彼女云々の話ではない。
出会いの「1」があるから「100」に達するのだ。
その1が眠っているのはやはり職場だろうか。共有する出来事と時間は必然的に多くなるから心の距離感も縮まりやすい。
またはマッチングアプリだろうか。お互いに「付き合う」をゴールに定めて活動しているから、出会った時点で「80」だ。会う(合う)までが大変なんだけど。
街コンなんて手もある。一人だと心細いから誰かについてきて欲しい。
あとは相席屋。一定数の悪評はあるけど、怖いもの見たさがある。
……さてどこへ向かおう。
そう思うと、同年代の異性と触れ合える学校というコミュニティがいかに出来上がった世界だったのかよくわかる。(婉曲的に男子校をディスってるわけではない)
同じ場所で同じ時間を過ごし、様々なイベントが勝手に用意されている。ドラマや漫画などでは理想的なコンテンツの舞台として学校が描かれ、そこに現実世界を投射することだって許される。先輩後輩の歳の差も前後1年程度、その一年があのころはとても大きく、そしてもどかしい。親の保護下という制約、学生という縛りの中で自由に揺れ動く恋心。なにをやらかしても「青春」という無秩序な言葉で括られる特別な時間……大学はほんと無秩序だけど。
限定的な時だったと気づいたから、今になってそこに特別な価値を見出しているのかもしれない。
ならばいま学生時代を回顧しながら生きている20代の私も限られた時間の一つではないだろうか。
学生に青春があるように、俺たちは「若さ」という言葉で言い訳ができる。あれ最初なんの話してたんだっけ。
じゃあ30代は……今はまだ考えないでおこう。