写真で振り返る3月
新年より新年度のほうが意識しない?
今年のエイプリルフールはいまいち盛り上がりませんでした。
新型コロナウイルスの猛威、そして東京オリンピック延期という下手な嘘にも程がある現実のせいもあり、今年の新年度の幕開けはやけにひっそりとこっそりとした始まりになった気がします。
連日ニュースで取り上げれるコロナ情報と国の対応。私は優しい人間なのでたとえ行政がポンコツであっても「彼らも人間だもの」と右にも左にも傾かない均衡スタイルを貫いてきましたが、昨今の対応(特に東京都)には仏の顔も3度まで。なにが緊急会見だバカやろー、注意喚起だけなら小学生でもできるわー!とイライラしてしまったのコロナの脅威がお仕事にも影響してきたからでしょうか。つまり俺もサラリーマンの端くれってことか、ははは(渇いた自嘲)
そんなこんなでこのブロブも淡々と書き続けて約1年経ちました。
(去年の来週ごろには仕事辞めてます)
読者の数も地味に増え続け、嬉しいやら恥ずかしいやら…いや恥ずかしさはないっすね。もし羞恥心なんてものがあったらポエムなんて書いてないっしょ。心が正常に作用してないだけかもしれませんが。
これからも変わらず淡々と更新をしていくので何卒よろしくお願いします。
てことで、3月を写真で振り返っていこうと思います。
3月は結構食いました。
久しぶりに親子丼の名店“玉ひで”に行けてほんとよかった。
あとは結構麺類が多めですね…こりゃ太るぞ。
休日の過ごし方はダーツ、喫茶店が恒例です。
と言えばスマート感を演出できますが、ダーツは2年近くやってようやく素人に毛が生えたレベル。喫茶店でコーヒー片手に書いてるのは“これ”だし、本を読んでると2時間制で追い出されるしでなんか格好がつかないのが俺らしいというか玉に瑕というか。
そしてスノーボードにも行きました。途中みんなと逸れてしまいそのまま1人でただただ滑走しまくるというコミュ障を極めた楽しみ方をしてしまいました。(集合写真に入れず(;_・))
トルコに行ってきた友人からお土産を貰いました。
世界各地のスターバックスにはその地域限定のマグカップが売っています。私は「お土産なにがいい?」と聞かれると(聞かれなくても)そのマグカップを図々しくせびるのですが、ほんと友人たちはいい人ばかりでその都度買ってきてくれます。ありがとう。
しばらく行ってなかった会員制のバーにも行ってきました。ただのバーじゃないですよ“会員制”。と思いきや最近入り口に看板を出し始めたので会員制じゃなくなった疑惑。てかランプのグラス汚いな笑
そして春。四季の始まりはこの景色から。
さて、明日も頑張りましょう!!!
過去記事もどうぞ
4月から社会人!のみなさんへ。
浮かれている大学生の方々ごきげんよう私です。
4月1日まであと2時間ちょっと。
長針と短針が重なり合えば、それは終わりの合図。
長く続いた、そして永遠に続くと思われた学生生活。
とうとう終わります。まじで終わります。呆気なく終わります。
そして大人が始まる……わけでもないんだなこれが。
学生を卒業して一年経った私ですが、『大人』と自称するには些か抵抗があります。
そりゃ色々経験(もうほんと色々あった)して、自分自身に大きな変化があったことは紛れもない事実ですが、それははたして“成長”と呼べるものなのか、呼んでいいものなのか確信が持てません。ひねくれ具合はさらに磨きと拍車がかかったと自負してますが。
成長がそこにないならば、私はいまだに『学生』なのかもしれません。やった!コロナの影響で春休みが長いぞーーー!自粛?そんなの知らん、平日の昼間から飲むぞーーー!と頭の中でも妄想を張り巡らせることは容易なのですが、現実逃避で救われたら誰も苦労はしねぇよと。この1年は現実がひたすら追いかけてくるというか、背中にぴたりと張り付いているリアルに日々戦々恐々としながら布団の中で逃避もどきをするのが関の山でした。あの感覚はストレスなんて言葉で片付けられるようなものではありません。
この調子でいかに社会人がやべぇのか語るのもいいですが、俺通算3ヵ月程度しか社会人やってないんだわ……こんな人が社会を語るなんて片腹痛いにもほどがありまくりんぐっしょ。
ただもし先輩ズラをしたアドバイスなんてものが私に許されるならば、言いたいことはただ一つ。
『1週間で仕事辞めても“大丈夫”だよ』
(その選択が“正解”とは言ってない)
さっむい!
寒さに耐えきれず目覚めたのは久しぶりだ。
現在午前9時半すぎです。みなさんおはようございます。
東京オリンピック延期が決まってから本格的に牙を剥き始めたコロナはほんと都合のいいウィルスくんだなと影で評価しています。良し悪しは言わなくてもわかるでしょう。
小池百合子の言葉にここまでの力があったとは、と驚くくらい静まり返った休日の都心に雨の音が響く…なんて指任せに書きながら窓を開けると、雨ではなく雪が降ってました。
まじか。
東京の雪の予報って大体外れるから「はいはい季節外れの雪ね、すごいすごい」と聞き流してたけど、まじか。少し積もっちゃってるし。
これは今日はだらだら冬籠デーですね。埃を被ってた石油ストーブが今日は嬉しそうにごうごうと音を立てて部屋を温めてくれますので結露しまくりのボロマンションですが快適に過ごせそうです。
けど、こんな時こそ街の姿を見たくなる。うーんどうすっかな。美容院に行く予定があるので"不要の"外出ではないです🙆♂️
ただ今の時刻は9時40分。
よい休日を。
アルバイト先の先輩
初めてのアルバイトは高校1年生の時。某ファミレスのキッチンだった。
月曜日、水曜日、金曜日は18時〜21時。土曜日は11時〜15時。そんな感じのシフトだったと思う。
その時間帯はディナーやランチピーク時なので、「おはようございます」とタイムカードを切った瞬間からフルスロットルで働いた。けして楽ではなかったけど、忙しい以上の苦もなかったな。もちろん慣れるまで時間と苦労は要したが、自然と生活の中にアルバイトが埋め込まれていった。そこで培ったスキルは卵を片手で割る程度しかなかったけど、そこで刻まれた記憶は今でも思い出としてしっかり残っている。
今振り返っても、アルバイト先はほんと人に恵まれていたと思う。店長もいい人だったし、パートのおばさんもまぁまぁいい人だったし、大学生の人達はなんかいい人だったし、ホールの人たちもほどほどにいい人だったし、フリーターの人もとりあえずいい人だった。そんないい人だらけの埋もれそうな環境の中でも、2人の先輩は特にいい人だった。
当時高校3年生で遊び慣れてるかっこいいA先輩と大学3年生のJKキラーの異名を持っていたB先輩の2人だ。
その先輩方にはほんとよくしてもらった記憶しかない。入社早々から可愛がってもらったし、仕事だけではなくプライベートでも色々な世界や作法を教えてもらった。(特にA先輩から教わった''女の子に抱きついてもらえる最強の方法''は未だに重宝している)
まだ16歳だった自分にとって二人は今まで会ったことがない等身大で理想的な大人だった。
そして今、その理想達よりもだいぶ年上になってしまったわけで、今の自分と比べようとすると無粋すぎて変な笑いがこみ上げてくる。
現在私は23歳。当時の諸先輩方よりだいぶ年上になってしまい、無事社会人になった。それでも先輩は先輩のままだ。あの時から止まり続けている先輩たちの面影を俺は追い越すどころか近づいてすらいない気がする。
一人暮らしもしてない、ブランドものに詳しくない、大型免許持ってない、女の子をバイクの後ろに乗せたことがない、鍋パをしたことがない、音楽好きな後輩と一緒にライブに行ってない、美味しいステーキ屋知らない、クラブで泥酔したテンションのそのまま働いたことない、JKに手を出してない、イルカのインストラクターと付き合ったこともない、面白い下ネタも言えない、手○ンした手で………
社会人の私と学生の先輩、どちらが“大人”なのだろうか。
今の自分に「ない」もの(なくていいものもあるけど)を沢山持っていた昔の先輩。
その存在を大人というならば、大人には歳を重ねただけじゃ近づくことはできない。
先輩たち、今なにしてるのかなー。
転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出
ある特別な休日の日のこと
ある特別な休日の日のこと
休日の地下鉄のホームは寂しさを感じるほど閑散としていた。
ホームドアに近く足音が響くホーム。会話さえためらう静寂は地下鉄に似合わない。もっと、そう、まさに闇の向こう側から近づいてきた音、耳をつんざくこの騒音こそ地下鉄にふさわしい。暖かい風と共に勢いよくなだれ込んできた都営日比谷線が唸りながらスピードを緩め、行儀良くNの前にドアを用意する。そしてため息を吐くような音をたてながらその扉を開けた。
スマートフォンを片手に乗り込んだNは、反射的に端の座席を探しだした。だが、“探す”必要はなかった。人よりも席が目立つ休日の日比谷線内はコロナの影響を実感するには十分な光景だった。
優先席に1番近い端の席に深く腰掛け、硬い壁に頭を預けてスマホをいじる。Yahoo乗り換えアプリの情報ではあと4駅。
向かう先は、人形町。
親子丼誕生の地『玉ひで』
行列の長さはまさに予想通りだった。
人形町駅から徒歩3分にある老舗『玉ひで』。親子丼誕生の店として有名で、その歴史を味わうため連日老若男女行列が絶えることはない。
Nは期待していた「コロナで騒いでいる今だったらあまり並ばずに食べられるのでは」その一見浅はかにも思える期待はみごとに的中した。日曜日のお昼時にも関わらず待ちは20人程度。この人数は並んでいないに等しい。
「うわ、結構値段いくね…」
手持ち無沙汰に玉ひでの公式ページを眺めていたSが小声で驚く。メインの親子丼は1番安くても1900円。平日のランチ時にも行列ができるらしいが、その列を成すスーツたちは羽振りのいい職場から飛んでくる烏骨鶏だろう。N達にとってはランチ1900円は特別な休日にしか味わうことができない価格だ。
「一流だからな。そりゃ一流の値段をとるに決まってる」
と、二流の説明をNはドヤ顔で言い放つ。しかしSはツッコミを入れることもなくスマホを覗いたままだった。
「私は“進化”でいいかなー、あ、味玉ほしいかも」
「進化?」
NはSのスマホを覗き込むと、お品書きページに載っている美味しそうな親子丼の写真と目が合った。食欲がそそられる黄金色にお腹が声を上げる。
そして、その下にはこう記されていた。
『進化〈再考〉〜Evolution2〜』
刹那、Nの思考と目の動きが止まり、そして"再考"する。
「は、なんだこの名前……」
Sは何も言わず細い指で画面を下にスクロールした。姿を見せる美味しそうな親子丼の写真、そしてまたその下には
『三昧〈推奨〉〜Recommend〜』
「かっこいい名前だよね」
苦笑いを誘うSにつられてNも口角を上げる。
妙な恥ずかしさ、そしてどこか懐かしさを覚えるセンス全開のネーミングセンス。これはオリンピック商戦の一環だろうかとNは真面目に考えるしかなかった。
⬇︎(ぜひ実際にその“勢い”を感じ取ってほしい。)
待つこと30分。
靴をおかみさんに預けて、専用窓口で注文する。
「えーと、進化の味付け卵付きと……」
視線で促すS。
「あ、ああ。ざ、三昧で」
Sが最初に注文してなければNはあのイケてるフルネームを唱えていたことだろう。Nは1人小っ恥ずかしさを抱えながら、案内されたお座席に腰を据えた。
「「おおー」」
何度見ても美しい。その輝きは、かのマルコポーロがたどり着いた黄金の国ジパングのごとく。煌々と広がる卵の海、海……それは生命の始まり…否、親子丼の始まりの場所
深さが浅めに作られたレンゲで米と一緒に持ち上げると、半熟の黄身がゆっくりと滑り降りた。匠の火加減によって再び生命を宿した黄身がレンゲから逃げる。
そしてここでは味について事細かに書くといった無粋なことはしない。
「「…美味しい」」で始まり、「「美味しかった…」」で終わった。
それだけで十分だろう。
入場料が必要な本屋“文喫”
お腹を満たした2人は、とある喫茶店で佇んでいた。
いつもの池袋の喫茶店でゆっくりするのも悪くないが、今日が特別な休日ならば行ったことがない喫茶店に行こうと、2人が向かったのは六本木にある喫茶店“文喫”。
ここを喫茶店というのは間違いかもしれない。ここは本屋さんだ。
入場料を必要とする本屋さん。入場料1800円(平日は1500円)を払えば、終日コーヒー&緑茶飲み放題の静かな環境で売り物の新刊本を嗜むことができる。けして安くない値段だが、この環境(と六本木という土地柄)を考えれば納得の価格だ。
Nは本棚に並んでいる新刊に目もくれず、カバンにしまってある自分の本を取り出した。長い間カバンの底に眠っていた文庫本。しおりが挟んであったページを読み返しても曖昧にしか覚えてなかったのでその章の最初から読み直す。こうしてゆっくり読書をする時間もめっきり減ったなとアイスコーヒーをすすりながらページをめくっていると、まぶたがだんだん重くなってきた。テーブルを挟んでNの前に座っているSはなんだか大きなサイズの写真集をペラペラと眺めている。その姿すらなんだか素敵な夢のように思えてきて、Nは目をつぶった。
「帰るか」
「そだね」
Nの読書スタイルは変わっている。Nは読書をする前に15分程度の仮眠を必要とする。元気だろうと疲れてようとカフェインを摂取してようと、まず本を読もうと開いた瞬間、強烈な眠気が襲ってくる。ここで無理してはいけないのだとN自身最近気づいた。仮眠なしで本に食らいつくと文字を読むことすらできなくなる。一度目を閉じることによって時間を忘れるほどの集中力を手に入れる。この不思議なルーティンのせいで「お客様……」と注意を受けることもあったが、ここ“文喫”では充実した15分を過ごすことができた。
日はすでに暮れ始めていた。
「あ、桜」
Sが指差す先で枝垂れ桜が揺れていた。「六本木にもあったんだ」「そりゃあるでしょ、日本なんだから」
意味ない会話を乗せた暖かな風が耳をかすめた。春はもう、すぐそこに。
2400字(1時間)
過去記事もどぞ
バンクシー展に行ってきた。
横浜と新横浜は違う。
車内アナウンスの声が告げる到着駅「横浜」。ヨコハマ、私はふとあの日を思い出した。
それは私がまだ高校生だったころ。学校行事で集合が9時ごろに「新横浜」を指定されていた。オチはもう分かったと思うが、私は「横浜」集合だと勘違いして1人ポツンと同級生たちを待ち続けていたのである。とめどなく額に流れる汗を学生服で拭いながら約8kmガンダしたなぁ…
こう浸っちゃってる時が一番乗り過ごしやすい。ここは横浜、うん大丈夫。目的地も横浜、大丈夫。忘れ物がないかポケットを上から触って確認する。今日の持ち物は財布と携帯だけ、OK。格好はエアジョーダンのパーカーとリーバイスのジーンズ、まぁ妥協点。左手に巻いたSEIKOの時計が12時半を指している。約束の時間に難なく間に合いそうだ。
てことで「バンクシー展 天才か反逆者か」に行ってきました。
入場には予約が必要。
特別バンクシーが好きというわけではない、なんなら最初はジバンシーの子会社と思ってたくらいだ。
では、なぜわざわざ横浜まで来てバンクシーの作品を見に来たのか。その理由は単純明快。私が好きな漫画「左ききのエレン」に登場してくるからだ。すごく影響されやすいからね私。
それにコロナ対策として様々なイベントが中止になってしまったせいで、休日に心を養うことができず極度の芸術不足に陥っていたというのもある。
横浜駅から徒歩5分。会場はアソビル。
1階はオープンスペースの飲食店が並び、天井では色鮮やかな提灯が踊っている。
2階に上がると新築の匂いが漂ってきた。広がるレットカーペット。予約制ということもあって混雑具合はちょうどいい。入場待機列に並んで1時を待つ。
写真を載せてあえて語らない。
さて入場。
作品の写真をむやみやたらに撮ることを是としないので少しだけ。
大量生産されてるんかい
ゲリラ的に壁画のみを描く正体不明の芸術家かと思えば、版画を中心に作品を展開してきたらしく、その作品は何百枚と生産されているものも珍しくない。だがその1枚に何百万という値が付いているのだから芸術の価値ってほんとよくわからない。
バンクシーが問いかける社会的メッセージは生粋の日本人である私には遠いものに思っていた。だがここでは額縁を挟んだだけの1番近い距離で彼の訴えを感じることができる。芸術作品に理解はいらない。理解ができる=答えがある作品に鑑賞はない。芸術は必ず余白を残している。その余白に自分は何を感じたか、それが大切なことだ。と一丁前に言ってみる。
だからこそスマホでカシャとしてすぐに立ち去る人々の姿を見ると少し悲しくなった。目の前に実物があるのにスマホを通して虚像を眺める人々の姿はまさに“現代”だ。
日本に住んでるんだから英語なんて必要ない
「日本に住んでるんだから英語なんて必要ねーんだよ!」
赤々と書かれた20点を恥ずかしげもなく見せびらかしながら、教室を闊歩するヤンキーの姿をふと思い出した。
最近、英語関連の広告をよく見る気がする。
ビジネス英語、駅前留学、TOEIC高得点、マンツーマン英会話……どれも売り文句は『安く、楽しく、簡単に』
「英語なんて必要ない」
あいつの声がもう一度頭の中で反響する。たしかに日本という島国にいる限り英語は必要ない。だが日本語すら怪しいアホが“本当のこと”を主張したところでそれは負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。(さっきから上から目線で語ってる私は60点くらいだけど)
中学から大学まで英語の授業を一通りこなし、私は英語を学ばざるを得ない環境から卒業した。なのに社会はグローバル!世界基準と騒ぎ立てている。英語英語うるさいな。金髪美女が微笑みかける広告に向けて私はこう言いたくなる。
「英語の“勉強”なんて必要ない!」
だって難しいことはスマートフォンが全てをやってくれるんだから。
正直、定期テスト20点だろうと今の時代スマホが手元にあれば英語の読み書きなど朝飯前だ。スピーキングもEngrishと揶揄されることなく、完璧な発音を用いて現地の人とコミュニケーションを取ることができる。こんな便利な時代で、時間とお金を割いて優れた英語力を身につける必要などあるのだろうか。
「英語は必要だが、勉強する必要はない」
きっぱりとここで締めたいが、英語が苦手な23歳が主張したところでそれはやっぱり負け犬の遠吠えにしか聞こえない。それはやっぱりダサすぎる。だからこっそり英語の勉強をしている。ほんと矛盾もいいところだ笑
東京の夕焼け
助手席から眺める夕日はいつもより赤く見えた。
目の前を走るハイエースのテールランプよりも真っ赤に輝く太陽に目を向けながら、硬い背もたれに疲れた体を預ける。そしてハンドルを握る先輩に聞こえないよう、溜まっていた空気をゆっくり吐いた。今日はこれで終わり、明日もまた同じ日が始まって終わる。
窓のに映るのは雲一つなく真っ赤に染まる空、その下では都会の形をしたシルエット群が肩を寄せ合っている。その景色に''東京''を感じて変な笑いがこみ上げてきた。東京でずっと過ごしてきたから、東京ドームやスカイツリーを見たところで東京を実感することはまずない。この景色もいつもの夕暮れとはなにも変わらないはずなのに、今日はなんだか時速80kmで延々と流れる都会の姿に心を奪われた。この気持ちは多分“感傷的”ってやつだと思う。そしてたぶん疲れてる。
暖かな車内と一体感覚で揺れる車内。ゆっくり沈み始めたまぶたを擦りながら、一足早く眠りにつこうとする東京に向けてこっそりシャッターを切った。