淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

ボヤキ

10月も残り5日間。そしたら今年も残すところ二ヶ月になる。

つまり入社して10ヶ月が経つ。仕事にも職場環境にもだいぶ慣れてきて、ようやくプライベートにも目を向けることができるようになってきた。この前ブログにも書いたが、ジムに通ったり、マッチングアプリで出会いを探したり、旅行に行ったり。少し遅れを取ったが24才社会人の生活がやっと始まった気持ちだ。

だがすぐに来年になる。そして私は25歳になる。四捨五入をしたら「あら、30歳」でアラサー、成人して5年も経つことに驚きだ。そろそろ余裕ある大人になりたいと思っているが現実は想像以上に過酷だ。社会人として三年目でも、まだまだ自分のことで精一杯だ。弱い自分、臆病な自分、不甲斐ない自分、なにもできない自分……自分と向き合わなければいけない現実、そこに余裕はない笑

だからこそ「彼女が欲しい」その願望は”今の自分”を肯定してほしいという想いからきたのだろう。弱くて、臆病で、不甲斐なくて、何もできない自分を認めてほしい、抱きしめてほしい、愛して欲しい。仮に愛する人がいたならば、どれほど今が楽しかっただろう。砕け散った自己肯定を拾い集めてくれる人がいたならば、どれほど頑張れただろう。自分のために生きてくれる人がいたならばどれほど幸せだっただろう。

そんな「もし彼女がいたら」なんて妄言が様になるのは高校生までだ。彼女はいない、会社はブラック、弱音は許されない。たとえヒロイン不在でもこのストーリーは止まらない。たとえ守る者がいなくても痛みに耐えながら自ら戦わなければ確変イベントは起こらない。達観してページをめくってる側にいてはなにも手にいれることはできない。この人生は演者も脚本も演出も全て自分。それがこの、人生劇場。

 

今年はまぁーうまいこといかない年だったが、それは本厄のせいにして、残りの2ヶ月くらいなにか一つ”いい変化”が起こればいいなと思う。

愚痴でもなく抱負でもなくこれは、ボヤキだ。