淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

ポジティブでもないけどネガティブでもない生き方

これまでの24年間、高さや深さは問わずとも山あり底ありの人生を歩んできた私だがいまだに生き方を見つけられないでいる。何万年も続いてきた生物史、何千年も続いている人類史の上を歩いている以上生から死へ向かっていることは確かだが、生きていく過程はどうやら哲学の根底に眠ってそうな方程式に当てはめても解が求められるものでもないらしく、生き方に評価を付けようには結果論にすがるしかないようだ。

その結果とやらも現在のあり様とその時の解釈によって大きく変わる。だから啓発本の帯あたりにデカデカと書かれている”過去は変えられる!”といった力強いメッセージはあながち間違いでもないのかもしれない。実態がない記憶は共通の時間軸にあったとしても共同のものではない。ならば、忌々しい記憶も「今の自分を作った」とか「あの時の悔しさが」と都合よく解釈することによって過去を変えることができる。たとえ外野から正史を訴えるヤジが飛んできたとしてもその過去の存在を証明できるものなんてないのだから、過ぎたことは過ぎたなりに好きに料理して口に含み溜飲と共に胃に下すのが良いだろう。

 

ちなみにこれは単なる一人ごとであり「あ、なんか書けそうだからキーボードを叩いてみるか」から始まった戯言でしかない。特に病んでいるわけでもないし、社会人のネジが締められたわけでもないし、神への敬意は相変わらずお正月がピークである。

 

ただ感覚で書いてみると、この解釈によって過去を変える生き方、それは過去の積み上げである現在をなんとか維持するための私なりの処世術だったのかもしれない。人はこれをポジティブシンキングというが全く違う。ポジティブ野郎は現在に生きている。彼らに過去を振り返る暇はない。イマココ現在がマイナスなら彼らはそれにマイナスをかけるか、ゴリ押しで加算することで幸せを作り出す。それができない私みたいなネガティブではないけどなんか最近うまくいかないな的生活人間はイマココ現在はとにかく耐え忍び、記憶が熟成され”思い出”なるまで待つ必要がある。そして出来上がった思い出にひとつまみの塩を加えて美味しくいただくことでなんとか現在を維持することができる。

 

どうりで酒の席での昔話が増えたわけだ。

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