淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

花束みたいな恋をした【理想的なカップルの終幕】

そうだ映画館に行こう

映画は話題になってから見るスタイル、はたしてそれで”映画好き”と名乗っていいものか逡巡したが、サブスクは邪道で劇場鑑賞こそベストだと大声で主張するステレオタイプの私は微々たるものだが比較的映画業界の経済を回している方だと思うので一応映画好きと自称しても怒られることがないだろう。(趣味を映画鑑賞というのは恐れ多い)。

『映画は映像作品ではなく、空間作品である』という僕の信念(結構気に入っている)の元、今日も今日とて映画館に足を運んだ。

それは恋愛の始発と終点を描くを話題作。イケメン菅田と美女有村のアバンチュールでげっそりするかと思いきや終始ゴリゴリのリアリズムで自心と記憶を抉り、観賞後「人生こんなもんよ…」とニヒリズムに陥れる凶刃恋愛映画。

 

花束みたいな恋をした

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hana-koi.jp

 

 

 

 

ネタバレあります。

 

 

 

序盤 恋愛観が淡くなっていく自分

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始まりはご都合恋愛方程式『きっかけ(終電)+共通項=急接近』に則った無難な形。等身大の出会いから段階的に仲良くなって二人は結ばれる。

付き合うまでの攻防、付き合いたての熱量、自由に飽き飽きしている大学時代。どこか懐かしいと思いながら観ていると次第に二人が醸し出す”私たちサイキョー感”に苦しくなってきた。それは懐かしさが原因ではない。彼らの濁りない姿を”子供だなぁ”と達観している自分に気づいたからだ。社会の現実と理不尽に揉みしごかれ、いつのまにか永遠を望む無垢な恋愛すらも鼻で笑う自分になっていた。つい3年前までは僕だってそちら側にいたはずなのだが。

付き合い始めた二人が望むことは好きなことをやって小さく過ごす幸せな日々の現状維持。不安はあるが不満はない毎日。ああ、学生時代を思い出す笑

 

中盤 人間ドラマはここから

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少年少女向けの恋愛作品ならば付き合ってハッピーエンドとなるが、大人の皆さんならご存知の通り恋愛の醍醐味はここからである。

こんな言葉がある「恋人は一番親しい赤の他人」。どれだけ似ていても、愛し合っていても、信じ合っていても二人は溶け合って一つになることはできず、それどころか皮膚一枚超えて相手に触れることすらできない。だからこそ人間ドラマはこの先にある。

価値観のズレと生活の違いから生じる小さな綻びがだんだんと亀裂に変わっていく中盤は雰囲気の緩急がとても激しい。喧嘩のきっかけやイラつきの背景はとても現代っぽく、私たちの周りでよく見られるものであり、二人のやりとりをポップコーン片手に眺めながら「あ!このセリフ言ったことがある!」または「このセリフ言われたことある!」と心の中で叫んだ人も少なくないだろう。やはり”怒ってるじゃん→怒ってないし問答”はほんと不毛だと再確認した。

次第に離れていく二人の心。ニンテンドースイッチでさえ別れのカウントダウンを止めることはできない。 

 

終盤 理想的なカップルの終幕

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付き合うにはお互いの同意が必要なのに、別れは一方的でも許される。ほんと恋愛は理不尽である……(だからさっさと結婚で拘束した方が都合の良いか。

しかし別れが二人の同意の元、選ばれた別れならば、それは理想的な恋愛の終幕だろう。抱きしめ合って停滞していた二人が背中を合わせてそれぞれの道へ進んでいく。

その先にも新しいものドラマがあって人間は出会いと別れを何度も何度も繰り返すのだろう。その都度、沢山の想いを抱えて、背負って、隠して、無理をしながら前に進んでいく。

大人ってほんと大変だ。

 

まとめ

「いやー面白かったね」

「そうだねー!菅田君かっこよすぎ!」

映画が終わり下のエスカレターには列ができていた。俺が少しボーッとしている間に興奮冷めやらぬ男女二人が前に入ってきた。彼女は後ろに立つ彼氏を見ながら「なんか私たちみたいだったね」と微笑む。「それじゃ俺たちは最後分かれちゃうじゃん」と言った彼氏もきっと同じ笑顔を返しているのだろう。彼らは気づいていないだろう、いや気づくことはできないだろう、映画の感想を語り合う姿はまるで劇中序盤の二人のようだった。

始まったばかりの物語の後ろに並びながらひとりエスカレーターを待つ。