街のトム&ソーヤが映画化するって
めざましジャンケンに備えてリモコンを構えていた私の目に映ったのは衝撃的な文字だった。
”大人気小説!街のトム&ソーヤが映画化!”
えええええええええ!
今更!?!?
私にとって”街のトム&ソーヤ”は特別な作品だ。トム&ソーヤは私に読書を習慣付けたきっかけで、この出会いがなければ読書はつまらないものであり続けただろう。
読書が趣味じゃない私を少し考えてみた。読書に縁がないってことはライトノベルも読むことはないってことでつまりアニオタになるきっかけがないわけで、じゃあアニオタじゃなければギターを始めるきっかけもなくて……
トム&ソーヤは今の私を作り上げた原点かつ元凶と言っても過言ではない。
出会いは偶然すぎるくらい偶然だ。
当時私は小学生低学年くらい、母は出版社に勤めていた。その日は土曜日だった覚えている。母は出版系の展覧会に参加していて私は家でお留守番をしていた。お昼すぎ、そろそろ帰ると電話越しに告げた母は続けて
「なにか一冊お土産で買って帰るからなにがいい?」
と言ってきた。私は、ああ今でもはっきりと覚えている、あれをお願いしたのだ。
”エジプト全集”
をお願いしたのだ。小学2年生の私はUMAとかオーパーツとか都市伝説とか学校の怪談とかコンビニの本棚で売られているしょーもない¥500エンタメ本にハマってしまったのが原因でちょっと早い厨二病を患っていたものだから、家に置いてあった展覧会のカタログの中で一際キンピカで好奇心くすぐる表紙(ツタンカーメンのドアップ)だった”エジプト全集”を選ばない理由はなかった。
で、帰宅した母の手元にあったのが”街のトム&ソーヤ”だった。泣いた。あの時の俺はこっそり泣いた。だって”エジプト全集”じゃないから。だけど突っぱねることはせず、小さくお礼を言って手元に残した。なぜなら小学校では朝読書という退屈な時間が設けられていたので、まぁその足しというか怪談レストランシリーズも飽きてきたから明日はこれを開いて時間潰すかー程度の気持ちでランドセルにしまった。まさか授業中に隠れて読むほどハマるとも知らずに。
そんな偶然から本の面白さに気づいた。トム&ソーヤ既存4巻を図書館で読破した私はダレンシャンやデルトラクエストやハリーポッターや山田悠介などの当時の人気作品を追いつつ、トム&ソーヤの新巻が出れば真っ先に母に買ってきてとお願いするしてその日のうちに一回読んでまた学校で2週目に入る。ゴリゴリの読書少年、このままいけば作家も夢ではなかったかもしれない。だが何かの手違いか神のいたずらか”涼宮ハルヒの憂鬱(角川スニーカー文庫)”を母にねだったのが運の尽き。ハルヒとの出会いはトム&ソーヤ以上の衝撃で既存の読者観がぶっ飛んだ。学習机に積んであった水滸伝と三国志を図書館に返却して、その日から美少女の所作やセリフを鼻息が荒くして目で追う生活が始まってしまった。
なぜ私はトム&ソーヤにハマったのか。目新しい設定は特になかっ……いやいや、その理由を25歳になって考察するなんて無粋だし無意味だ。理由は面白かったからに決まっている。読んでから何年も経ってるのに冒頭のハンバーガー半額問題に頭を抱える主人公がはっきりと思い出せる。感想じゃない、これは記憶だ。記憶の一部になるほど夢中になって読んでいたんだ私は。そういう作品に最近出会えてない。三島由紀夫の言葉ばっかり追って頭でっかちになっちゃったよ。
あのころを僕の記憶を取り戻すために映画観に行きます。