淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

凡人的転職思考の解決法

教育、労働、納税は国民の三大義務と言われています。例外はございますがこの三つは直線的に繋がっている。教育の先に労働があり、労働の先に納税がある。例外というのは教育を放棄してもこの世には様々な労働がありますし、労働をせずとも納税ができる程度の収入がある人もいるわけですが、ただ私のような凡人はそこそこの教育を受け、ほどほどに労働をこなしながら、コツコツと納税をして行くのが余生の常になります。なにかオイタをしなければこの構図のまま40年後の定年まで続いてくわけです。この”不変”に凡々の若者は不安を感じ、このままではいけない。変わらなくちゃいけないと焦燥感に駆られるわけですが、そこそこの教育で培った頭脳で打開策がぱっとひらめくわけもなく、たとえ閃いたとしても行動力に縁がない故の現状でしょうから、考えるだけ考えて悩み疲れて布団に入り、登る朝日に目を覚ませば自ずと今日も義務の遂行のため体が動いているというのがオチでございます。

 

私もそんなバカモノ……若者の一人でありますから、仕事を終えるたびに転職について考えるわけです。労働をしたくないと言っているのではありません。労働そのものから距離を置きたいと考えたことは一度もない。めんどくさいと呟いた回数は数え切れませんが。

このめんどくさい作業が義務だなんてたまったもんじゃない。日本に住んでいる日本人である以上仕方ないのかもしれません。しかしこれが避けられない義務だというならよりよい環境を所望する。よりよい環境とはなにか。それは自分でもよくわかっていない。やはり私はバカモノなわけです。

この曖昧な不安を私は年配の上司に相談してみますと口を揃えて「目の前の仕事に集中すれば…」から始まり「その先に見えてくるものがある」と続きます。今の仕事を続けることが今の私のレールとなっているのは紛れもない事実であります。このレールを進めば景色も自ずと変わって行くことだろう。まだ見ぬ未来のためにあてのない希望を握りしめながら若さと靴底をすり減らして前に進む。だがきっとその先で与えられるのは落ち着いた諦観的な生活ではないだろうか。受け取ろうと伸ばした手元にあの頃の希望はすでになく、あるのは心許ない貯金と深く掘られたシワだけ。そんなエンディングを勝手に想像して悲観的になって"満足してしまう"。これがまさに私の凡人たる所以なのであります。

 

そんな将来への不安を考えるたびに社会学古市憲寿氏の言葉を思い出します。

『人はもはや将来に希望を描けない時に「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と回答するというのだ』

『人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」になることができるのだ』

絶望の国の幸福な若者たち/古市憲寿

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