某ベンチャーの動画を見て
炎上ではなく巷で話題か。
某ベンチャーの呟きがプチ炎上している。
いや不祥事を起こしたわけでもないし、悪態をついたわけでもないので炎上という言葉は間違っているような気がしてきた。
あらためて某ベンチャーの呟きが巷で話題になっている。
『弊社、〇〇〇、こういう会社です!!!!!!!』
と元気がいい挨拶文共に10秒程度の”会社紹介動画”がその会社の人事担当を名乗るアカウントから投稿された。
弊社、株式会社3Backs、こういう会社です!!!!!!!リバラボインターン等、学歴や職歴に負けずキャリアアップしていきたい人達の背中を押すサービスを!!展開しておりますぅ!!!!!!!!!! pic.twitter.com/Ai1B0MjlrJ
— ゆのちゃん🐯リバラボ採用🍥 (@y_rebirthlab) 2022年1月18日
問題となった?のはその動画。ポージングをきめた3人の女性社員が突如不思議な踊りをしながら会社紹介を始める。百聞は一見にしかずでまだ消されていないなら見てほしい。
これにたいする私の結論は「自分には合わないなぁ……」だった。遅れて「右の子がタイプだなぁ」くらいだった。
しかしこの動画に否定的な反応をする人が多く見られた。
『しっかり老けてるのに頭の中はまだ学生のノリを引きずってるの可哀想』
『やっぱり学歴と職歴は大事だな』
『こちゃ秒で病みそうだな』
はて、会社紹介という目的で職場の雰囲気を包み隠さずありのまま投稿したのに、なぜ外野から批判がバコバコ飛んでくるのか。
はたして社会人とは。
ぶっちゃけて言えば、最初に動画を見た時私もあまり良い印象を抱かなかった。その動画の光景に”社会人らしさ”を見出せなかったからだ。
しかしこの”社会人らしさ”というのは非常に抽象的な表現である。そもそも社会人とはな何か。自己啓発系で耳タコの問いだが普遍的な社会人というものを私は知らない。結局、経験の枠組みを超えて”社会人”の意義は語れることはできないのだろう。
つまり私は無意識に今自分が置かれている環境を”社会人”と位置付けた結果、反射的に動画で踊ってやがるやつらは社会人から乖離していると判断してしまったわけだ。
冷静に考えれば分かることだが、紙大好きな昭和文化プンプンの下町育ちの弊社とフレッシュでインテリジェンスで渋谷に会社を構えるこの会社では、所在位置も離れているし価値観はもっと離れている。
だが、お互いに”誰かの役に立つことをして利益を得ている”という点では共通している。この会社は人材系らしいので思うことが沢山ある人もいるだろうが詐欺まがいの行為、人を陥れて利益をぶん取るといった違法なことはしていないはずだ。つまり会社としてしっかり機能している。
会社に属する労働者という括りでは私も画面の向こうでコンブダンスしている女の子たちも一緒になる。
ということで、そりゃ人の数だけ働き方はあるよねー。空気は絶対合わないけど同じ労働者ってことで頑張りましょ。とそんな感想に落ち着いた。
ところがどっこい、やはり職場で踊る人たちを社会人と認めない層は一定数いる。なぜだろう。それは”真面目に働く”というステレオタイプが美意識として残っているからだと思う。
だがこの”真面目に働く”も定義が難しい表現だ。昨今の情勢を見る限り会社に尽くす謹厳実直マンを意味しないのは確かだろうが…
ここで私が考える”真面目に働く”とは、”社会人としての自覚を…”ってダメ、これダメだ。社会人とは?に戻って堂々巡りになってしまう。つまり社会人の意義が人の数ほどあるならば真面目に働く姿勢のあり方もまた星の数ほどあるよねってことだ。
このように抽象的な言葉の意義は当人の視点、もとい経験値によって決まり、また変化し続ける。たとえば”幸せ”とか”やりがい”とかである。
今回のプチ炎上もいわば形もサイズの異なる異物(抽象概念)を自分の意義に落とし込もうとした結果生じてしまった反発なのだと私は思う。
「人によって考え方違うよねー。ふふふ」
程度にしておけば誰も傷付かず済むのに、ベンチャーを蔑称のように使って”社会人らしくない者たち”を嘲笑してしまう人は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」というお母さんの教えをあらためて考えてみた方がいいと思う。
昭和的な労働観の最後の担い手である私たち
とはいっても、先にも述べた通り私は最初動画を見た時、良い印象を抱かなかった。
ウチヨソとは理解しつつも根底に眠る”社会人らしさ”は一体どこからきているのか。
それは両親の存在が大きい。幼い頃から今日に至るまで1番近い労働者は両親だった。毎日朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。疲れたと口癖のようにいいながらもけして投げ出すことはしない。家に持ち帰って仕事をし続け、子供と遊ぶ約束よりも仕事を優先して出かける。私はそんな両親の背中を見て育った。きっとその姿が”真面目な社会人”として根付いているのだろう。なので楽しくダンスをしている会社員という絵面に少しだけ嫌悪してしまった。彼らもまた朝早く家を出て、夜遅くに帰ってくる真面目な社会人かもしれないのに。
働き方改革や多様性を肯定しつつも、小さなズレに気づいているのは私以外にもいるだろう。だがそれはもう仕方がない。これは血に刻まれた日本人的な労働観なのだ。恥じることも無理に上書きしようしなくていい。ただひっそりと胸の奥にしまっておけば良い。
真の意味で日本の働き方改革が成し遂げられた時には
『SNSを使った会社紹介なんて古すぎますよー』
今度は私たちの”時代”と”新しさ”が否定されることだろう。そしてこう言葉は続くのだろうか。
『そもそも肉体を使おうって時点でダメっすよ。時代はメタバースなんスから』
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2年前も似たようなことをぼやいてた。