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やるせない26歳が綴るこれは独り言

映画アルカディアを観て。ネタバレ

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知的風ハットさんという映画ライターがいまして、私は彼をニコニコ動画初登場当時から追っている熱烈なファンでごさいますが、彼の紹介する映画は斜め135°で後頭部から興味をくすぐってくる非ミーハー的な、つまりB級作品が多く、それら作品は映画好きを自称しているマッチングアプリ勢と一線を画するために模索しつつも結局は好きな映画:ターミネーターに落ち着いてしまう私にはうってつけなわけです。

 

今回はTwitterで紹介されていたアルカディアという映画を見ました。こちらはキャビンインザウッズという別作品と世界観が繋がっています。訓示の通り、この難解な作品を嗜むためには併せて見る必要があるでしょう。しかし併せて見たところで真相というか何が言いたいのかはぶっちゃけ理解はできませんでした。

 

しかし見終わってふと考えたことがあります。

それは「全ての物語は始まりと終わりをループしている」

そして「物語内の人々はそのループに気づくのか」この2つです。

ストーリーで形成される作品である以上、始まりと終わりがあることは言うまでもありません。物語の始まり、つまり”物語の誕生”は我々の人生のように受精して懐妊して出産するといった生命の誕生から始まることはごく稀で、用意されたきっかけが日常を壊すことで物語は突然誕生します。生後間もない物語の語り部は成人だったり、幼児だったり、はたまた人外であったり、虫になってしまった元人間だったり。登場人物と事物が用意された物語は間も無く直立して起承転結の地図に沿って歩みを進めていきます。

ズンズン進んでいくその世界を眺めて楽しむ。それが”観賞”であります。

物語は用意された終わりを迎えます。「楽しかったね」「また見たいね」「もう一回読もうかな」「友達にも紹介しよう」そうやって作品は再び観賞されるでしょう。再生ボタンを押せば、表紙を捲れば、最初から始めるを押せば、世界は起承転結起承転結起承転結起承転結起承転結起承転結…

 

物語は始まりと終わりを何度も繰り返す。その事実を物語の中に生きる者の視点から捉えるとどうでしょう。終わることがない、変わることもない、永続的な不変の繰り返し。とても恐ろしいことじゃないですか。

ラスボスを倒してハッピーエンドを迎えた作品はそこで"終わります"。その後の平和な日常や過去を顧みて談笑する将来は存在せず、終わりを迎えた彼らの先にあるのは、鑑賞者である我々の「面白かったからもう一回」によって再び物語が"最初から始まる"のみ。そしてまた故郷は踏み荒らされ、母親は食い殺され、主人公は悪を駆逐すると誓うのです。何度も何度も。

物語は神である作者に対抗し得るのか、そこに言及するメタ的な作品はデッドプール然りギャグ系だとそう珍しくないですが、はたして我々の好奇によって何度も繰り返される終わりなき世界に気づく物語は存在し得るのか。今更ですがこんなことを考えて作中世界に同情し始めると全ての創作物が楽しめなくなるので注意してください。

 

アルカディアはそれに近いテーマだったと思います。たぶん。

神の視点で観ること。観られること。

もしかしたら我々も観られている側かもしれないですね。