淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

パチンコのすゝめ

友人に教わってパチンコというものをやってみた。あれはとても不可思議な魅力があるものだ。喫煙所とトイレを求めて門を叩いていた場所が今では「おおおおいいい」と心の中で叫びながら膝を叩きつける場所になるとは。

ということでざっと10万円の代わりに得た経験をど素人がパチンコを語っていこうと思う。

 

①たちが悪いギャンブル「当たるまでができちゃうんだよね」

ギャンブルと呼ばれるものはこの日本にも多々存在するが、その中でもパチンコは特にたちが悪い。なぜなら「当たるまでやろう」ができてしまうのだ。

競馬であればその日決まっているレースが終われば、運の波に乗っていようと、名残惜しかろうと、手元の銭を使い切りたかろうとその日の最終レースの決着と共に終わる。しかしパチンコは開店から閉店までのおおよそ12時間の間は金と意志がある限り勝負し続けることができる。

まぁ勝負といってもただの抽選ゲームなので回数を重ねれば当たる確立は上がるっしょ…が、ここが最大の落とし穴である。ものにもよるがだいたい大当たりの確率は1/319である。これは319回くじを引けば絶対に1回は当たる、ということを意味しない。そんなパチンコは甘くない。319枚のくじ引きを1枚ずつ引いていく…のではなく、319枚のくじ引きを1枚ずつ引いて、またそれを戻して、また引く。これがパチンコである。恐ろしいね。

故に当たらない時はお賽銭をいくら投げようとも仏は微笑まないし、時間潰して適当に回しちゃったのが当たっちまう時はバンバカ当たっちまう。

 

②煽りたい放題のバカ演出。

パチンコ屋がうるさい理由は大袈裟な演出にある。あれは耐性をつけないと甲高い機械音に煽られて「え、これはチャンスなのでは!?」と勘違いして課金を重ねてしまう。打たない人には底辺の地響きに聴こえるだろうが、席に座ってる人からすると「んんんきもちえええ」と昇天しかけている底辺が多い。

当たる時は分かりやすいほど煽りに煽り、さっさと数字を並べてくれればいいものを無駄なアニメーションと振動で脳を最大限に震わせてからペカペカーと”当たり”を告知する。気づけば心拍数が上がっちゃってるんだから怖いねぇ。あの達成感(ただくじを引き続けただけなのに)は癖になりそうだ。

 

③当たりゃいいわけじゃない。

ペカペカ”当たり”ペカペカで万人が幸せになれるなら、俺は友達にパチンコを勧めた。しかし当たってからまたさらに確率のゲームが始まる。当たりは始まり、勝つためには当たり”続ける”必要があるのだ。

まぁ大当たりを引けたらそこそこの結果になるが、そこに至るまでの投資がそこそこの額だと、大当たりの中の大当たりを引かないと元が取れないなんて事態も珍しくない。777がでましたー!からが本当の勝負(くじを引き続けるだけなんだけど)なのだ。いい気持ちで清算してみたら財布が薄くなっていることに気づいた時のやるせなさはアホらしすぎて涙が出る。

 

④当たった金でさらに回そう理論

とはいってもまぁ当たる時は当たる。ぶっちゃけ私も”当たった時点で”やめればまぁプラス収益にはなっていただろう。しかし、まぁ、うんこれは完全にオカルトなんだけどハイテンションで結果を出してしまうと「運がきてる」と勘違いしてしまうのが愚かな人間というものだ。

多少パチンコに技術が必要なら、まぁ調子がいいとかあるだろうけど、パチンコに技術は全くございません(突き詰めればあるのかも)。ただお金と銀玉を所定の場所に飲み込ませるだけの赤ちゃんでもできるゲームだ、てかむしろゲームなのかも怪しい。欲に塗れた人間はその運というやつに全振りをして0に戻ってくる。

「ま、当たった分が消費されただけだしプラマイ0だからいいや」

彼は”消費された当たり”にいくら投資したのかを忘れている。

 

結論・興奮を忘れた老人向け

これがパチンコです。やらない方がいいね。

高い勉強代になりましたが、なんとなくハマる人の気持ちもわかった。特にお年寄りの方々。無理矢理テンションを上げてくれるペカペカ演出が生きる活力になっている?のかも?わからんけど。

ちなみに僕は高須クリニックというクソ台が好きなんですが、最近高須クリニックCMがテレビで流れてくるたび「あ!CMリーチだッッ!これは熱い!」と動悸がします。病気ですね。

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