選択するということ
人生は選択の連続である。
ただ私の選択には、たびたび後悔がおまけでついてくる。
あの時こうしていたら云々、失敗するとすぐにIFストーリーを思い描く。
「テストがある前日に勉強せずに寝てしまった。」
⇒もし、勉強していたら…
「あまり調べないで高級品を買ってしまった。」
⇒もし、レビューを確認していたら…
「実は昔、好きだったんだよね」
⇒え!? じゃあ、あの時もう少し押してたら…
等々。
初めて大きな選択をしたのは高校受験だった。
行ける高校は、一つだけ。
私立、公立を含め何百とある高校から一つしか行くことができない。
校風、校舎の清潔感、部活動、学力、立地…いろいろ調べ、探した。
「どんな人がいるんだろう」
「どんなことが起こるだろう」
なんて、期待を胸に過ごす。
そして、願書提出。一つの高校を選択する。
しかしそれは同時に、他の高校で出会うはずだった友達、起こるはずだった出来事を全て捨てることを意味する。
もしかしたら、そこで最高の親友と出会っていたかもしれない。
もしかしたら、そこで勉強に目覚めたかもしれない。
もしかしたら、部活で全国に行ったかもしれない。
もしかしたら、将来の奥さんと出会っていたかもしれない…
全てを捨てる。
私は、そんな数々の可能性に満ちた道を捨てることが、人生の選択であると思う。
選択し終わった当初はしばらく未来に期待している。「どんなことがことが起こるんだろう」
自分が自分で選んだ自分の道を信じている。そして進んでいく。
しかし、失敗してみろ。
すぐ後ろを振り返って、過去に縋りつく。「あの時、こうしていたら」
その可能性を捨てたのは誰だ。自分である。誰も責められない。
それはわかってる。けど、後悔として溜まっていく。
なんて自分は勝手な生き物だろう。
これから、大学が本格的に始まる。
新しい環境で、私はどうなっているんだろう。
たぶん、やつれている。
「ああ、あの時…」
と、思うのだろう。
これからもずっと、選択を強いられ、選択をして、選択に後悔する。
だが、このループから抜け出すのは簡単だ。
人生の選択に正解、不正解なんてない。と思うことだ。
正しいも無ければ、間違いもない。
自分が選んだものが、自分の道だ。その道に解答なんかない。
失敗した、と思ったときに原因探しのため過去を振り返るのは構わない。そこから学ぶこともある。
しかし、すがりつくのはいけない。
選ばなかった道が作り出すもう一つの未来なんてない。
自分が選んだ世界で戦っていく。負けてもいい。
ただ、過去に救いを求めるな。
未来にしがみつけ。
以上、高3の時に書いたブログ記事(下書き保存)でした。
いやー不思議とニヤニヤしてしまう。
いい味を醸し出す素敵な文章である。いいぞ、高校三年生。
ま就活が近づいてきたので戒めのためにも掘り起こし、ここに晒し出してやろう。グハハハ(一部加筆修正しました)
だけど、この考えは三年たった今も根本的には変わってない。
目の前に広がる沢山の道。
その一つ一つにいっっっぱいの出会い、出来事が詰まっている。
道を一つだけ選択するということは、他の道を全て捨てるということだ。
これからも、私は選び、捨てていくだろう。
よろしく、選ばれた道。頑張っていこうぜ、選んだ道。
ごめんな、選ばれなかった道。元気でな、捨てられた道。
もし「イケメンで生まれる」って選択に出会ったら、来世はよろしくと伝えておいてくれ。