淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

選択するということ

人生は選択の連続である。

 

 ただ私の選択には、たびたび後悔がおまけでついてくる。

 

 

 あの時こうしていたら云々、失敗するとすぐにIFストーリーを思い描く。

 「テストがある前日に勉強せずに寝てしまった。」

  ⇒もし、勉強していたら…

 「あまり調べないで高級品を買ってしまった。」

  ⇒もし、レビューを確認していたら…

 「実は昔、好きだったんだよね」

  ⇒え!? じゃあ、あの時もう少し押してたら…

 

 等々。

 

 

 

 

 

 初めて大きな選択をしたのは高校受験だった。

 

 行ける高校は、一つだけ。

 私立、公立を含め何百とある高校から一つしか行くことができない。

 校風、校舎の清潔感、部活動、学力、立地…いろいろ調べ、探した。

 

  「どんな人がいるんだろう」

 「どんなことが起こるだろう」

 なんて、期待を胸に過ごす。

 

 

 

 

 

 そして、願書提出。一つの高校を選択する。

 

 

 

 

 

 しかしそれは同時に、他の高校で出会うはずだった友達、起こるはずだった出来事を全て捨てることを意味する。

 

 

 もしかしたら、そこで最高の親友と出会っていたかもしれない。

 もしかしたら、そこで勉強に目覚めたかもしれない。

 もしかしたら、部活で全国に行ったかもしれない。

 もしかしたら、将来の奥さんと出会っていたかもしれない…

 

 

 全てを捨てる。

 

 

 

 

 私は、そんな数々の可能性に満ちた道を捨てることが、人生の選択であると思う。

 

 

 

 

 

 

 選択し終わった当初はしばらく未来に期待している。「どんなことがことが起こるんだろう」

 自分が自分で選んだ自分の道を信じている。そして進んでいく。

 

 

 

 

 しかし、失敗してみろ。

 すぐ後ろを振り返って、過去に縋りつく。「あの時、こうしていたら」

 その可能性を捨てたのは誰だ。自分である。誰も責められない。

 それはわかってる。けど、後悔として溜まっていく。

 

 

 

 

 なんて自分は勝手な生き物だろう。

 

 

 

 

 

 

 これから、大学が本格的に始まる。

 新しい環境で、私はどうなっているんだろう。

 

 たぶん、やつれている。

 

 

 「ああ、あの時…」

 

 

 

 

 と、思うのだろう。

 

 

 

 これからもずっと、選択を強いられ、選択をして、選択に後悔する。

 

 

 

 

 

 だが、このループから抜け出すのは簡単だ。

 

 

 

 

 人生の選択に正解、不正解なんてない。と思うことだ。

 

 

 

 

 正しいも無ければ、間違いもない。

 自分が選んだものが、自分の道だ。その道に解答なんかない。

 

 失敗した、と思ったときに原因探しのため過去を振り返るのは構わない。そこから学ぶこともある。

 

 しかし、すがりつくのはいけない。

 選ばなかった道が作り出すもう一つの未来なんてない。

 

 

 

 

 自分が選んだ世界で戦っていく。負けてもいい。

 

 ただ、過去に救いを求めるな。

 

 未来にしがみつけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上、高3の時に書いたブログ記事(下書き保存)でした。

 いやー不思議とニヤニヤしてしまう。

 いい味を醸し出す素敵な文章である。いいぞ、高校三年生。

 

 

 

 

 ま就活が近づいてきたので戒めのためにも掘り起こし、ここに晒し出してやろう。グハハハ(一部加筆修正しました)

 

 

 

 

 だけど、この考えは三年たった今も根本的には変わってない。

 

 

  

 

 目の前に広がる沢山の道。

 その一つ一つにいっっっぱいの出会い、出来事が詰まっている。

 

 道を一つだけ選択するということは、他の道を全て捨てるということだ。

 これからも、私は選び、捨てていくだろう。

 

 

 

 

 よろしく、選ばれた道。頑張っていこうぜ、選んだ道。

 

 

 

 

 

 ごめんな、選ばれなかった道。元気でな、捨てられた道。

 

 

  もし「イケメンで生まれる」って選択に出会ったら、来世はよろしくと伝えておいてくれ。