ローランドと高村光太郎と私。
ある男はこう言った。
「人生成功したいんだったら「やるか、やらないか」じゃなくて「やるか、やるか」でしょ。」
彼は言葉で選択に囚われる私の人生論を収束させた。
行動力の大切さを説くわけではないのだが、彼の言葉をちょっと穿った捉え方をすると、人生に選択肢は用意されているようでその中身はどちらも同じなのではないかと。私たちは選んでいるようで選んでいない、一本の運命を歩いているのはないかとも思える。
人生の選択は小さいものなら肉体の関節レベルで、大きいものなら進路やプロポーズまで多岐に渡る。私もこれまでたくさんの選択をしてきたが、大半は”手元にあるのに掴まなかった”という一番情けないオチを繰り返してきた。これは”選べなかった”のではない、”選ばなかった”という、ああ大変情けない男である。これもまた”選んだ”選択の一つなのだが。
その後悔は毎回必ずやってくる。どうしてなんでと涙を流し、涙枯れれば自己嫌悪が始まり、脳が恨むことに疲れたらIFストーリーを思い描いて心を落ち着かせる。
けど、こう考えたほうが楽じゃないだろうか。
人生に選択は用意されていない。
人生は枝分かれなんかしていない。
ある偉人の言葉を拝借するとこういうことだ。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
未来は用意されてない。自分が立つここが今であり未来である。もしで始まる並行時間軸が隣に伸びてるなんてことはない。故に今と虚像を比べることになんの意味もない。つまり”決まっている”運命論とは違くて、人生に伸びてるのは一本の現在進行形の一択論なのだ。考える時間も悩む時間も必要としない、必要なのは覚悟と進む勇気。
ただただまっすぐに伸びる道を、近道もないその道を、ひたすら進むのが人生なのさ。
と言い聞かせながら日々日々頑張っています私です。
最後に私が作った名言でこの記事をしめる。
「正解の道を選ぶのではなく、選んだ道を正解にする」
我ながらいい言葉である。