異性を理解することはできない。/「異性」(角田光代/穂村弘)
女の子の気持ちが知りたいよーえーん(by 23歳)
悲痛な男の叫びが救いを求めたのは一冊の本だった。
人間はなぜ生きるのか、なんて中学生御用達の哲学的疑問に悩むことはなくなったが、いかんせん女性関係の悩みは尽きない。
おっと。まるで浮名を流すプレーボーイのようなセリフになってしまった。
残念ながら今の私にブイブイ言わせる(表現が古い)力はないし、ショートパンツ(デニム)が似合う美女との色恋沙汰を展開させる余裕もない。
私が抱えるている女性関係の悩みとは
女性が理解できないという悩みだ。
女子という呼称が使われていた頃は(ところで女子が示す年齢範囲ってどこまでだろう)彼女たちの思想や言動は多少理解でき……ることが少なくなかった。
時は経ち、今や私たちは20代。
可愛い少女から可憐な美女に変貌した魔女たちの言動は私の常識を遠慮なくぶち壊していく。(具体的な話をあげなくともお察しください。)
彼女たちが暴走した時の理論の飛躍っぷり、狂信的な盲目さ、気持ちが暴走した行動力には恐怖をも超えて感動さえ覚える。
ああ、これは女性が理解「できない」悩みではなく、理解「しがたい」悩みなのかもしれない。
「異性」(角田光代/穂村弘)
色々女性を冒頭でdisってしまったが。
だが私は「男女はいずれ性を超え人間という括りの中で通じ合える時がきっと来る」と密かに思い続けていた。
そんな淡い期待は読了後に砕け散る。
異性。目を引くタイトル(と表紙絵)である。あらすじには「男と女についてとことん考えてみた、話題の恋愛考察エッセイ」とある。女性作家と男性歌人が共通のトピックを軸にして異性の謎、異性の魅力、男女の不思議について語り合う形で展開していく内容のようだ。
男女双方の視点から恋愛を語ったエッセイって珍しい。
「1 好意を、伝えたほうがいいのか、わるいのか」
少女向け雑誌のお悩み相談室に載ってそうな疑問からこのエッセイは始まる。
初手回答者は恋愛小説界の大御所、角田光代氏(女性)
私が最近観に行った「愛がなんだ」の原作者さんって言ったら分かるかな?
ちなみに鑑賞した感想もちゃっかりブログに書いてます。
角田氏は「好意を見せたら負け」といった考えから生じる恥の問題が根底にあるという。だから「自分から好きと言うことに敗北感」が付きまとい、告白に踏み切れないことがあったと懐古する。
あ、自分男だけどわかるかも。その変なプライドを固持してた頃が自分にもあったあった。
結局「男だから告白しなきゃ」っていう使命感というか、強迫概念に突き動かされて積極的に行動してた節もある。負けまでは思わなかったが、お願いするような姿勢になってしまう告白には恥ずかしさを覚えたなぁ。
穂村氏は「告白に恐怖を覚えてしまうは、好きが複雑かつ過剰になったから」だという。思春期前後は好きな理由が「かわいいから」等の明白なものであり、その恋愛感情は永遠に続くものに思える。
しかし年を重ねるにつれて好きの根源が不明瞭になってくるというのだ。容姿、雰囲気、勘違い、性欲…一体なにがトリガーになって心が揺れているのだろう。なぜ彼女なのか、彼女じゃなきゃダメなのか、彼女がもし30kg太っても好きでいられるか…考えれば考えるほど泥沼に沈んでいく。
私が思うにその理由は、不明瞭な時間を不安げに進んでいく大人は曖昧さに満ちた直観は何も保証してくれないと理解してしまっているからだろう。
「好きに理由なんかいらない!」
どこかで聞いた眩しすぎるセリフは私たちが忘れかけてる恋愛の真理かもしれない。
そして穂村氏はこの章の中で以下のように述べる。
『「好き」と「好き」が一対一で結び付いた両想いなんて、どうやったら到達できるのか想像もできない』p.17 l.10
このように角田氏と穂村氏が交互に意見を述べていく形で話は進行していく。
言葉にできない気持ちを言葉にするプロたちが、ガチンコで異性について語り合うエッセイ集。どの章も思わず唸ってしまうワードセンスに満ちているし、多角的な慧眼から観察された異性の姿、同性の本性はこれまでの経験に当てはまり、忘れかけてた恥ずかしくも懐かしい記憶が蘇ると共に思わず吹き出してしまう。
多々あるキレキレ名言だが、その中でも抜粋していくつか紹介しようと思う。
個人的ベスト名言(角田氏)女性目線
(5 女性は変化をおそれ、男は固定をおそれる?)
『女性はものごとが変化変容するということを本気でおそれている。嘘でもいいから「変化しない」と言ってほしいのだ。それを言わない男性というのは、変化ではなく固定をおそれているのではないだろうか』
p.50 l.7
(9 「好きな人」「まあまあ」「眼中にない人」)
『よく「私はもてない」と言う女性がいる。(中略)話をよくよく聞いてみると彼女は「自分が好きな人に、もてない」と言っているのだ」
p.81 l.15
(14 別れた人には不幸になってほしいか)
『具体的な不幸に見舞われてその人がシオシオとなっているのを見たい、というものではなく(中略)「私がいなくなって以降、彼は生き生きしている」のがいやなのである』
p.131 l.2
個人的ベスト名言(穂村氏)男性目線
(6 絆への思い)
『飲み会の席でひとりの女性が「新婚旅行で飛行機が落ちたら、ちょっと嬉しい」と云うのを聞いて驚いたことがある。(中略)日常的な感覚として己の生き死によりも二人の絆の方が重視される、っていうのがおそろしい。』p.61 l.4
(14 別れた人に不幸になってほしいか)
『関係が終わって現実の相手の姿が視野の外に消えてしまったあとも、まだ5%くらいは自分の女だと思っているのだ。5%が無理なら3%、3%が無理なら1%……、限りなく0%に近づいても0になることはない。』p.135 l.3
読めば読むほど、たどり着くことがない国境の向こう側にいる見知らぬ国の価値観のように思えてくる女性の思想。そこに辿り着き、完全に理解できる日は永久に来ないだろう。
相手を理解することが愛することだと思ってる人がいる。しかし、相手を理解するなんて本当にできるのだろうか。理解という建前を使って、自分の鋳型に相手を流し込んでいるだけではないだろうか。
愛に完全な理解なんて必要ない。
必要なことは相手を受け入れること。
それが愛する上で何よりも大切なことなのかもしれない。(なんか綺麗にまとまった)
てかコピペで文字数を稼いだ感が否めない。(ここまで合計2700字くらい)
ブログの引用ってどこまで著作権的に大丈夫なんだろう。
もし触れてたらごめんなさい。