淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

重いジョッキを持って、一緒にビールを。

今週のお題「夏休み」

同じ重さのジョッキを持って、一緒にビールを。

 潰れたセミと目が合った。炎々の照らされたアスファルトの上を流れる熱風を受け、死んだ羽が薄く靡いている。俺はつま先でその残骸をつついて、路側帯に寄せた。土に還ることさえ許されない、都会という環境は昆虫にも牙を剥く。磨り減った靴底と小石が練り込まれたアスファルトとの間に万力のごとく挟まれ、それは鳴き声一つ上げることなく無残に潰されていったのだろう。

 

 今日の東京は快晴だ。真っ白な雲海が青空に模様をつける。昨日までの太陽を隠していた忌々しい雨雲たちはどこかへ消え去ったが、置き土産として残された不快な湿気が体にまとわりつく。季節のバトンをスムーズに受け取った太陽は例年通り熱々ラブコールで日本に夏の訪れを伝える。身覚えがあるこの湿度と熱。今はそう、夏である。夏なのだ。平日の昼間から学校も行かずにゲームセンターで騒いでいるキッズを見かけて日本の未来を憂いていたが、彼らは今夏休みなのである。逆にお日様が真上に登っている月曜日から街をプラプラしている私(23)の方が大問題なのである。

  さて、私は今「休み」を過ごしているのだろうか。たぶん働いている同期が聴けばこれは愚問でありニートという立場に酔った戯言のように聞こえるのだろうけど、私としては休んでいる気がしない。平日土日問わずただただ疲れている。それが寝ても治らない、金にもならない心労だからさらに質が悪い。「仕事してないから、毎日が休みじゃん!」と前向きに過ごしてたのは最初の1週間くらいだった。

  周りが有給を巧みに組み合わせたお盆休みのスケージュールを語らい盛り上がる中、私はその輪に入ることを躊躇ってしまう。その「お盆休み」を噛みしめるためには4ヵ月間大人の世界に揉まれ、理不尽を耐え抜き、働くという生き方を経験する必要がある。そうして味わえるのが大人の「休み」なのである。目の前でビールを豪快に飲む友人。そのジョッキは特別な重みを持って、一口飲むと今日までの歩みが旨味となって口内に広がり、達成感と落ち着きに満ちた長く深い息が吐き出される。私はセミの死骸を道の脇に寄せる程度しか社会貢献してないわけで、なんの苦労もなければ歩みもない。軽いジョッキから流し込むアルコールから伝わってくるものは何もない。

 

 さて「夏休み」も「休み」も過ごすことはできない私はこの8月無事に休めるだろうか。ただただ時間だけが過ぎ、暑さはさらに増してくる。気づいた時には干からびて永久の休みに突入していた、なんてことだけは勘弁願いたい。

最後に、私のこの夏の目標はしっかり「休み」に入って今まで出会った友人達とキンキンに冷えてやがるビールを同じジョッキで酌み交わすことだ。色々落ち着いたら飲みに付き合ってください!

 

 

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⬆︎凄くぬるそう。