淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

久しぶりの更新(テツガク!!)

本を読みすぎで最近心身共に疲れてきたので、自分で文を認めて気持ちを少し休ませたい。

最近手に取る本が概念的なものばっかりだ。苦悶から解放されたいとか心の拠り所を探しているとかそんな大それた目的はなく、「とりあえずそれっぽい哲学用語を覚えておけば実生活でマウント取れそう」という斜に構えた向上心によるものである。哲学者の言葉ではなくあくまでも用語を覚えるため。ニーチェの言葉を自分の言葉のように使って口説いた後日「あれニーチェじゃん」と冷笑されて以来、”言葉”を丸々パクるのはやめた。あくまでもそれっぽい用語を身につけて頭良さげな雰囲気を纏いたいのだ。

だが哲学はカロリーが高い。意味不明と理解不能の円環。日本語と理解力の拮抗。全く機能しない注釈。世界史の基礎知識が全くない日本史選択者にとって紀元前に世界は誕生してないんだから当時の背景も全くわからん。つまりこれは意地で読むしかない。私は”理解”を捨て”読む”にだけ集中して哲学の世界を広げてみれば

ソクラテスたんのツンデレっぷりがしゅきぃ・・・」

と偏差値35くらいに換言され『てつがく!!』を嗜むことができた。

本質への理解は遠すぎてその輪郭すら全く捉えられないが、私が嗜む『てつがく!!』からなんとなくわかったことは一つ。「2000年前から人間って変わんねぇな」である。人間が抱える悩みは時代が変わるたびに繰り返しているのにその普遍的な解決法は未だ見つかってない。故に正解の生き方も見つかっていない。

そう思うと、自分だけが抱えている悩みなんてものも歴史的には何度も何人も繰り返されてきた既存の悩みだと気づく。自分だけのものじゃないときづくと少し残念な気もする。哲学の本質を理解せずとも雰囲気かじるだけで気持ちの揺らぎはプラスに動く。

「てか、ソクラテスでも人間を語りきれなかったんだからもうなにやっても正解なんか見つけられないじゃん」とニヒリズムかましつつも「逆にこれを乗り越えて正解見つけちゃったらソクラテス以上なんじゃね?」と冒涜にも値する偏差値30の思考だということは重々承知ではあるが、つまり人類万人に共通する”正解”が見つかってないからこそ自分で正解を規定することができる。

てかあそこまで頭がいい人たちが考えまくって全人類が幸福になる的な意味で"正解"が見つかっていないということは、それは言語を超えたところにあるってことだ。

まぁそれは近いうちにAI様が見つけてくれるだろう。ただ伝達手段がバーバルとノンバーバルに限られるかぎり人類が解釈できないから、電極ぶっ刺したり電磁波とかなんかで(こいつ、脳に直接ッ・・・!)が可能になって「正解の人間」を悟った瞬間、人類史はある意味、終わりを迎えるのかもしれない。それはハッピーエンドかはたまたバッドエンドか。機械(AI)によって人間が規定される世界。なんかこういうSF作品ありそうだな。

 

あたまに浮かんだ文字をばこばこぶつけられたので終了する。

こんどあらためてしっかり書こうと思うが仕事で疲れたのでここまで。

ではでは。

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