私にとってのエヴァンゲリオン【ネタバレ全くなし】
小学5年生の時、唐突に
「人と違った趣味がほしい」
と思った。
そしてなにを間違えたのだろう。
「そうだ、オタクになろう」
思い立った勢いでYahoo!きっずで『オタク なりかた』を検索するとオタクの様々な生息態に驚いたことを覚えている。一概に”オタク”といってもいろんなオタクがいて、そのどれもがお金がかかりそうだった。当たり前だ。
「でもアニメオタクならアップロードされた無料動画があるから比較的ハードルは低そうだ!」
Yahoo!きっずに戻り『オタク アニメ おすすめ』を打ち込む。するとそこには入り口が二つ用意されていた。
①目がでかくてパンツ丸見えの女の子が待つ世界
②ガンダム?エバ?とかなんかカッコいいロボットが待っている世界
私はもちろん①を選んだ。
シン・エヴァンゲリオン劇場版 ついに公開!
ついにファン待望の完結作”シン・エヴァンゲリオン劇場版”が3月15日、ド平日のド頭月曜日に全国公開された。
エヴァンゲリオンといえばインテリ向けの小難しい設定!スタイリッシュなロボット*1!、想いを曲に綴りたくなる魅力的なキャラクター!*2と敷居が高いのか低いのかよくわからないが、平成オタク文化の土台を築いた名作であり、1995年のアニメ放送から25年以上経ち令和の時代を迎えてもなお根強い人気を誇っている。
私にとってのヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
アニオタの入り口として無機物ではなく半裸の生命体を選んだ私だったが、結果としてエヴァも第二の入り口として叩くことになる。アニオタを始めた2007年にちょうど”ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序”が公開されたからだ。
メディアではこぞって『エヴァはアニオタの教科書!』とかなんとかこぞって取り上げられるものだからそんなある種洗脳じみた記事を読んでしまった私は母にせがんで地元の映画館に連れていってもらった。
感想は
「この主人公、中学生のくせに弱虫すぎ」
私にとってのヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
劇場版2作目”ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破”が公開されたのは私が中学一年生の頃。アニオタの地位を順調に確立していった私はいそいそとライトノベルを読み漁る生活を送っていた。するとある日、別に仲良くもないが話さないわけでもない陽キャのK君が私の机に近づいてきて
「これ、あげる」
と一枚のファイルを差し出してきた。そこにはエヴァのキャラクターが描かれていた。
「好きでしょ、こういうの」
「いいの?大好き大好き!」
ありがとう〜と頂戴して、制服姿のヒロインを眺めていると
「なんかUFOキャッチャーでフィギュアあったんだけど、取ってこようか」
「いやいや、そんな」
「今日取ってくるわ」
そう言って腰パンが似合う彼は肩を揺らしながら廊下に出ていった。
翌朝、想像以上にでかいフィギュア2つがご丁寧に机の上に置いてあった。
私にとってのヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
時は流れて高校一年生。三作目”ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q”は当時組んでいたバンドメンバーと見にいった(それも2回見た?)。
義務教育を終えてもエヴァは難解だった。作中では現状理解に追いつけない主人公が「もぉう、なんなんだよぉ!」と自暴自棄になることが多々あったが(そのせいで人類は絶滅しかけるのだが)われわれも同じ気持ちだった。
「もぉ!どういうこと!?誰か説明してよ!」
それでも主人公を取り囲む大人たちはなにも語ろうとせず、ただそこにある”任務”とやらのために動き続ける。誰もなにも教えてくれない、誰もなにも解決してくれない、誰もなにも与えようとしない、孤独な子供を放し飼いにしてるような”大人たち”にヘイトが溜まったのを覚えている。
「ミサトさんってほんと自己中でわがまま」
あの頃はそんなことを思ってたけど、
今の私はきっと何も語らないそちら側なんだろうなと思う。
私にとってのエヴァンゲリオン
学生時代の小さなピース、エヴァンゲリオン。
パズルがついに完成し物語は終わる。
少年少女の物語が、大人になった私の元で
今完結を迎える。
*1:「ロボットじゃなくて人造人間だから!」と怒られた記憶がある