淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

死にて成長を感ずる

 父方の祖父が危篤状態になった。

 

 そろそろ危ないと聞いていたが、秒読み段階に入ったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生なにがあるか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 この言葉は嘘である。

 

 

 絶対的に分かっていることが唯一あるではないか。

 

 

 

 

 

 

 人は必ず死ぬのである

 

 

 

 

 

 

 

 どんな聖人でも悪人でも可愛くても不細工でも金持ちでも貧乏でも…どんな道筋を辿るのか知らないが行き着く先は必ず死である。

 

 

 私は幸せなことにこの年を迎えるまで身内の死を経験してこなかった。

 両親どちらこ祖父母も存命どころか元気いっぱいだった。

しかし死が見える位置に来たことによって私はすごく動揺している。

 

 それもそうだ。私はしっかり22年も生きてきたのだ。22年分の記憶があり、経験がある。世界は22年でテクノロジーが大きく進歩した。そういった陽の側面ばかりに目が向いていた。

 

 ならばこの22年で消えた文化もあれば、衰えていく伊吹があり、退く命もあるに決まっているではないか。そんな陰の側面を見ないようにしてきた自分が情けない。

 

 今年の3月に15年ぶりに会った祖父はもう生かされている状態だった。

 気づいてこなかった、いや忙しいという言葉をズルく使って気づかないふりをしていた「死」という存在。

 

 今になってとても後悔をしている。

 

 

 

 

 

大人になることはこういうことなのかもしれない。

目の前の出来事をただただ受け入れていく。

そうやって人は大人の道を死に向かって進んでいく。