淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

23歳が語る楽しい老後の話

今週のお題「理想の老後」

今の若者に老後を考える余裕はない。そして日本最大の問題とされている「老い」を理想の老後として肯定的に捉えろと言われても無理がある。

必ず人は老いて死ぬ。何が起こるかわからない人生の中でそれだけは確実なわけで、無視をしようとも否定をしようとも必ずやってくる。不透明な人生の中にここまではっきりしたものがあるのは、ある意味ありがたい。

 

私たち20代の「老い」と直面するのはそう遠い未来ではないと思う。

「え、60歳まであと40年もあるじゃーん」と笑っている人ほど、近くまで迫ってきた「老い」に気づいていない。

私たちが最初に直面するとき。

それは「親の老い」を目にしたときだ。

「老ける」のではなく「老い」。シワが増える分には全く問題はない。

物忘れが増え、腰が曲がり、自分でご飯が食べられなくなり、おもらしをする。自分の親に限って…と思いたくなるが、これは別に珍しい光景ではない。人間として少しずつズレていく。人間としての機能を徐々に奪っていく。

 

ま、この年で親の介護なんて考えてる人は俺くらいだろうけど、一人っ子としては避けることができない問題なわけだ。今のうちに頭の片隅にいれておかないとね。兄弟持ちが羨ましいぞ。

 

 祖父との別れ

長生きすることが美徳とされているが、私はけしてそうは思わない。

私は今年の3月、人の機能をほぼ全て失い「生かされている」祖父と再会した。

その姿を前にしたとき涙が流れた。これが「生」の終着点なのかと。管から栄養を流し込まされ、管から排泄を行う。それを繰り返すだけの「生きている」祖父。

「末永く生きる」が正解だと信じてきた自分にとって、その光景は現実そのものだった。なにが正解なのだろうと思った。延命措置は絶対正義ではないと思った。でも、祖父に死んでほしいとは毛頭思わなかった。目をそむけたくなる気持ちと向き合いたい気持ちに心臓がぎゅっと挟まれされ、無力感を伴った息と大量の涙が溢れてきた。

 

ということもあり、自分は老後は息子、孫の世話にならずぽっくり逝きたいと思っている。とりあえず友達全員の冠婚祭に出席しなきゃいけない使命があるので、それを成し遂げたらゆっくり死に場所を選んでそこで余生を流したい。

私の考えの一つとして

「生まれる時、場所は選べないのだから、死ぬときくらい選ばせてほしい」

という考えがある。自殺ほう助しているような言葉だが(笑)

 

老後の前にやらなきゃいけないことも多々あるし、これから抱えていくものは重過ぎる。わが祖国は順調に崩壊へと向かってるけど、頑張って老いていきましょう!

大丈夫、我々には介護保険もあるし、ぎりぎり年金制度も消えてはないはず!

50年後は(おおよそ)明るいぞぉ!

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