【ネタバレ】シンエヴァンゲリオンの私的考察
仕事を早上がりして、シンエヴァンゲリオンを観てきた。平日16時半上映でもそこそこ広いスクリーン6のざっと半分は埋まっていた。上映時間の長さが小さな話題になっていたので膀胱に自信がない私はy軸中央/x軸マイナス値最端のF-6席に陣取った。もちろんドリンクもポップコーンも持ち込まない。
映画泥棒から鑑賞の注意まで恒例の映像が一通り流れたのち、ゆっくり光が落ちていく。さてさて終わりの始まりだ。
結論、面白かった。
複雑な舞台装置と単純な目的
シンジくん「お父さんは何がしたいの?」
よく聞いてくれた!それだよそれ!と思ったのは私だけじゃないだろう。ロボットが怪獣を倒す程度の理解で追いつけたのは2作目の中盤までで、その後はとめどないカタカナ語の応酬が一般視聴者そっちのけで始まる。ダミープログラム、サードインパクト、ロンギヌスの槍、ガフの扉、……もうなんなんw
とりあえずシンジくんのお父さん、碇ゲンドウが真の黒幕で人類補完計画(≒人類滅亡計画?)遂行のために動いていることはわかった。…だけどなんで人類を滅ぼす必要があるんですか?Yahoo知恵袋のベストアンサーを読んでもオタクが雄弁に語っているだけで結局よくわからなかった。
その理由がついに明かされた。要約すると
好きな人と再会したいから
なんと世界規模の変革理由は個人規模だった。1人の男の不器用な愛の表現方法が物語を動かすコアでした。
〜人類補完計画〜
それは全人類の肉体も精神も1つになって恒久的な幸せを掴もうぜ!といった共産主義もビックリな極左思想。
そんな真っ赤なゲンドウ思想も今ならなんとなくわかる気がする。だって人間はどれだけ愛し合っていても溶け合って一つになれない。それどころか皮膚一枚を超えて愛する人と触れ合うことすらできない。生命が続く限り肉体に縛られる人間は孤独なんだと三島由紀夫も言ってたし。
だから愛する人と一緒になるために世界を巻き込んだ無理心中だって厭わないゲンドウの真っ直ぐな愛には男として畏敬を覚える。
親も子も同じ人間
息子のシンジから本質的な質問をされてしまったゲンドウ。我が子との向き合い、対話をすることで自らの気づきを手に入れた?のかなんだかよくわからないけどゲンドウは電車から降りて親子喧嘩決着。
その時シンジくんの言葉。
「お父さんも僕と同じだったんだ」
気づきは碇シンジの成長、もとい子供の成長を意味していると思う。
いつだっただろうか、親も同じ人間だと気づいたのは。親は生まれた頃から親としてそこにいた。だから子は無意識で親に親であることを期待しつづけ、親らしからぬ振る舞いには失望する。
だけど親は親以前に"人"だ。子育てだって大半が授業も研修もOJTもないままぶっつけ本番で子供の期待に応えなくてはいけない。そのプレッシャーを背負える親もいれば、逃げ出す人もいる。
子が同じなんだと気づき、親が気づきを受け入れること。それはお互いの贖罪でもあり許しでもある。
アニメは作り物だった
この作品にはエヴァシリーズの生みの親、庵野秀明の明確な意図が見えた。それは
「アニメは作り物なんだよ」
という諭しだ。
物語の終盤、主人公碇シンジ君は父親を始めとした主要キャラクターと対話を始め1番盛り上がるシーンのはずなのだが、違和感はすぐにやってきた。父親との戦闘シーンだ。
エヴァに乗り込んでガチンコバトルを始めるのだが……なーーんだこの安っぽいCGは。冒頭繰り広げられた戦闘シーンとは比べ物にならないくらい酷すぎる出来栄え。これは完全に''間に合わなかった"作品。オシャレを履き違えてるんじゃないのかと頭を抱えていると今度は手書き絵に戻って戦いの舞台は食卓、教室、街、農園、撮影スタジオ、電車の中と目まぐるしく変わる……う、うん?なんだこれ、またお得意の深層心理演出が始まったのか。
「せっかく世界観に入り込んでたのに……なんだかアニメの世界に没入できないな」
と残念がる私はまんまと庵野の策に引っかかっていた。
これは没入させないための演出であり、アニメの世界に沈みかけてた視聴者を引っ張り出す演出であり、終幕の始まりだったのだ。
違和感に意味があると気づいたのはシンジくんが綾波と対話するシーンでのことだった。2人の会話の中身は覚えてない。それよりも2人そっちのけでこれまでのエヴァ作品を投射するメタ的演出。そしてそこは小道具や衣装、撮影装置、舞台が用意された撮影スタジオ。ふと恐ろしい考えが頭をよぎる。
"あちら側も役者ありきの作り物"かもしれない。
二次元であって異世界ではない。ならば同じように役者がいて脚本家が書いたストーリー従ってドラマが制作されていてもおかしくはない。ではこれまで嗜んできた全てのアニメ作品が役者ありきの"作り物''だとしたら……それはとても寂しい。我々アニオタは忘れていたのだ、アニメは作り物だということを。だがオタクはあちら側と現実を乖離ができない。アニメを現実の向こう側(異世界)として捉えて、作者のただ妄想に神の真理を求める''ファン(fanatic)''と化す。
シンエヴァンゲリオンは確固としてファンを作品世界に没入させない。解釈の余白を最大限に取りながらも世界を少しずつ崩壊させていく中で教祖は最後のアンサーを示す。
「アニメは作り物なんだよ」と。
2回目見ようかな
という私の想像妄想憶測なんですがいかがでしょうか。旧約聖書とかそこらへんの難しい話はよくわからないので得意な人に任せます🙇♂️