高嶺の花子さん
”高嶺の花子さん”をご存知だろうか。慣用句でもないし学校の怪談でもない。高嶺の花子さんは人気バンドbacknumberの代表曲で「高嶺の花」をもじった片想いラブソングである。最近のヒット曲として紹介しようと思ったら8年前の曲らしい。あれれヒゲダンと一緒に流れてなかったけ。
実は私、ランダム再生で流れてきたらそのまま垂れ流すくらいこの曲が好きだ。メロディーや歌声はもちろん、なんといっても歌詞と世界観が素晴らしい。
『君の恋人になる人は モデルみたいな人なんだろう〜 そいつは…』
「うわぁ…なんだろこのデジャヴ感」
と初めて聞いた時はとても恥ずかしい気持ちになったが、それから5年以上経ちそんな初々しい気持ちも今や「そんな妄想して悩んだこともあったなぁ、ははは。現実ってね、妄想よりももっとキツくてさ。その憧れの人が自分以下のクソみたいな人間と付き合ったりするんだぜ。そうなると選ばれなかった自分がほんと惨めになってさ、なんでなんだろうって、そんなに俺って魅力ないのかなって自信を完全に無くしちゃって、それからは……」と過去の自分に歌ってやりたくなる程度に大人になった今でも大好きな曲だ。
よくある片思いラブソングといえばドラマチックな展開と弱音&不安の末に「だけど一歩を踏み出そう!明日を変えよう!」みたいな躁鬱の緩急で肩を叩いてきがちだが、高嶺の花子さんはそんなことはしない。それを表しているのが最期の歌詞。終始花子さん(憧れの女性)の妄想をだらだら語って最後に一言。
『ぼくのものに なるわけないか』
で閉幕する。
この諦観っぷりが私は好きだ。
恋愛に出会いと別れは必須ではない。一方的な憧れで始まって夢のまま終わった恋だって恋愛といっていい。また「君と出会えてよかった」と正面から抱き締める男は腐るほどいるけど、遠い背中を眺めながら小さく呟くことしかできない男だって星の数ほどいる。
愛の込めて花束を送るとか、100万回の愛しているとか、まだ綺麗なままの雪の絨毯に二人で刻む足跡の平行線とかそんな妄想を繰り返しちゃって、他力本願で、誰も傷つけない、自分も傷つかない安全な恋愛をしているのは君だけじゃないよと背中を押してくれるこれは恋愛下手にとっての等身大のラブソング。
”思春期男子のベッドの上”で完結する壮大な片想い詩。