淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

平日のカフェ

外回り中におしゃれなカフェを見つけるとちょっと休憩したくなる。

閑散と繁盛の間、この心地よい絶妙な空席具合は平日限定。片道三車線の大通り沿いにあるテラス席に私は腰をかけた。隣の貴婦人グループの声に耳を傾けながら、その声をかき消す排気音も適度に味わいながら、可愛い店員が伝票を裏返しにする所作をぽけーっと眺めながら、汗をかいたアイスコーヒーに口をつける平日の午後。客、排気音、店員、アイスコーヒー、すべてに余裕が漂っていた。なんて優雅だ。ここにいるだけで自分が雇われリーマンであることを忘れ、カウンターテーブルに社用のノートパソコン(残念ながらDELL)を開けば、気分はフリーランスエンジニアだ。

今だからこそアスファルト砂漠のオアシスとして機能する平日のカフェだが、昔の私にとって平日のカフェほど忌み嫌うものはなかった。

 

「こんな時間からカフェに来ている人はどんな生活をしているんだろう」

 

土日休じゃない働き方もあるとわかっていても、こちらがネクタイを首元まで締めて電話越しで謝っている平日に、私服姿でショッピングを楽しんでる人はFXとか株の成功者に見えてくるし、陽がまだ高く昇っている時間から焼酎を傾けるおじいちゃんは資産家っぽいし、ポメラニアンを三匹つれているおばちゃんは美容関係の経営者だろうし、学生のようなみずみずしい肌艶にミスマッチなロン毛の髭面20代後半っぽい男性はベンチャー起業家だろうし、足が長い女はモデルだ。

働き始めて気持ちの余裕がなかった私にとって”平日に私服でいるやつ(学生は除く)”は”労働から解放されている奴”を意味していた。苦労しなくてもお金が手に入るやつら、こっちはこんなに汗水垂らして日銭を稼いでいるのに…!笑顔で平日を過ごす他人は羨ましいを超えて憎悪の対象だった。(今思えば病的な勘違いなんだけど

だが逆に同じようにネクタイを締め上げ忙しなく携帯を耳に当てている同年代を見かけると親近感を覚えた。苦い顔をするスーツ姿の若者を東京駅や大手町で見かけるたびに(ああ、同士よ、共に頑張ろう同士よ…)と心の中で握手を求めていた。今になって思うが人間に読心術が備わってなくてよかった。もし心の声を聞かれたら「お前なんかと一緒にすんじゃねぇ!!」とポコンポカンと殴られたことだろう。日本のビジネス街最前線で頭を下げている彼らは私と同列じゃない、平日カフェ組側に並んでいるんだと気づくのには一年ほどかかった。

 

今はどうだろう。おかげさまで仕事に慣れた。もうどんな理不尽もへっちゃらさ。通り過ぎるスポーツカー、閑静な住宅街、煌びやかなショーウィンドウ、映える1500円ランチ、私服姿のカップル、平日のカフェ……抱く思いは嫉妬でなく憧れ。こんな生活は自分には無理と変に現実を悟るより、楽な生き方を否定し辛い生活を肯定するよりも、あるかもしれない将来を重ねながら夢見て過ごす方が絶対に楽しい。

平日のカフェに漂う余裕。

ストローをくわえてスマホをいじる私。

なかったことにされた不在着信の文字。

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