映画「愛がなんだ」を見た男。『愚かすぎる幸せな関係』
「邦画は終わってた」とよく言われる。
確かに顔の彫りが浅いアジア人はアベンジャーズになれないし、CGの技術はポケモンを実写化できるほどの力はないし、誰も望んでいない実写化を炎上クオリティで公開するし。
勢いは衰えたが、評価できる作品もあることを忘れてはいけない。
邦画は「終わってる」のではなく、「終わりかけてる」かまたは「終わってる作品もある」と言うべきである。(アニメ映画はなかなか好調)
そんな終焉に片足を突っ込んでる邦画界にも煌々と光り続けるジャンルがある。
恋愛映画である。
まぁ考えてみれば確かに一定の人気を持つべくして持つジャンルである。
ハリウッド作品お得意のグラマーとムキムキがねっとりとスケールでかいアバンチュールを繰り広げる物語は、短足胴長(が多い)の島国人にはあまりにも夢物語。
その点、日本の恋愛作品は「等身大」の身近な恋愛劇が多い。
舞台となる世界には制服に身を包む学校があり、どこか見覚えのある街で出会い、郷愁を感じる田園風景の中で夏を過ごす。そういったリアルと近い世界でフィクションが展開されていく。
そして登場人物が抱える悩みや壁も歳相応で、誰もが通る経験を心情のベースにしていることが多い。難病からの余命宣告は流石に経験ないけど。
上映後に自分を作品世界に投影し、「ワンチャン自分も…」と夢うつつな期待を観客に持たせ、明日を生きる活力になる…
前置き長くなりました。
巷で話題の邦画の恋愛映画「愛がなんだ」を見てきました。
映画「愛がなんだ」
キャッチコピーは
全部が好き。
でも、なんでだろう、
私は彼の
恋人じゃない。
つまりテーマは「交わらない愛」ってことだな。
原作が恋愛物語と言ったら外せない超大御所おばちゃん角田光代さん。
これは楽しみだ。
原作のレビューもしたのでぜひ読んでみてください↓
(ちなみに自分は恋愛物作家なら山田詠美さんが一番好きです。)
あらすじ
猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。(映画『愛がなんだ』公式サイトより引用 http://aigananda.com/)
感想『互いの価値観のズレさえ愛になる』
誰もが自分の価値観を持つ。
特にその相違が顕著に表れるのが「仕事」「お金」そして「恋愛」だと思う。
恋愛は個人の価値観を振りかざすだけでは幸せには辿りつけない。付き合っていく以上、二人の価値観を築き、二人で掲げていく必要がある。(と言い切っても、中には自分の色に相手を染め上げて幸せに導いていく人もいるだろう。あくまでもここで書いていることも自分の価値観に則ったもの。ほんと相違が激しく真理が見えてこない分野である)
だが、二人の関係性は時にいびつな形を成すこともある。
比重が傾いた好きという感情は抱いた人を盲目にさせ現実から隔絶させることがある。そして大好きな人の世界に頭まで浸かることによって、日々の生活から幸福を感じ微笑みながら過ごす、たとえその人のパートナーにはなれずとも。
周りから何と言われようといいのだ。だってそれが幸せだから。だって相手のことが好きだから。
なるほど。これは盲目的な愛と曖昧な関係の物語だ。
恋愛って難しいよね。好きってなんだろうなんて思春期みたいな悩みを未だに抱えてるし、付き合うってなんだろうって彼女いないくせに悩んでるし、恋愛に関してはホント悩みが尽きない。
男女間に友情という仕切りを設けるのか、異性として向き合うのか。性別がある人間に投げられたこの問題は正しい答えが用意されていないからこそ悩み続けちゃう。
そんな恋愛初心者の自分に「愛がなんだ」はあらためて考える機会をくれた。
印象的なシーンはナカハラ君(若葉竜也さんの演技素敵でした)の最後の場面。
ナカハラ君は主人公テルコの友人である葉子のことが好きだ。葉子の電話一本でナカハラはすぐに駆け付け、二人で一日過ごすことも少なくない。
だが、二人は付き合っていない。
手を重ねているけど、握られることがない関係。そこにナカハラは幸せを感じつつも悩んでいた。苦悶の先に彼が最後に出した答えは
「葉子さんとはもう会わない」
その時に彼は涙を流しながら言った
「もう、限界なんすよ……」
なあなあの関係ってグラスのふちまで注がれた水みたいなもんだから、満ちていてもギリギリなんだよね。そして一気に溢れるてくるよね。うんうん。なんて自分の過去の恋愛と照らし合わせながら胸に手をあて見てました。なんだ、俺は女子か。
許せない場面も一つあったんすよ。
マモちゃん(成田凌)が
「俺ってカッコよくないし、がりがりだし~(なんか色々自己否定が続く)…いいとこなんて一つもないのになんで俺のこと好きなの?」
って(ベットの中で)言ってて嫌味かと思いました。
俺を含めた全国の日本男児に謝ってほしい。いらない謙遜は時に人を傷つける。
けどダメ男役の成田凌なかなかカッコよかったから許す。
恋愛の始まりは限りなく自己中心的で一方通行だ。行き着く先に相手が待っているとは限らないのに、一方的に相手とのハッピーエンドを想像して進んでいく。勝手に期待して背中を追っていたのは自分なのに、その想像が現実によって破られると勝手に世界のどん底に落ちていく。ゆっくりと細い針が心臓の深くまでねじ込まれていくような心痛は一人で抱える他ない。
そう、まさに恋愛など愚の骨頂。
答えがないことに悩み、夢に期待し、終わりが見えない恋愛など即刻やめるべきである。
しかし、出会ってしまえばやめられない。止まらない。
「愛がなんだ」と叫んだ先に誰も待っていない。それでもきっと人は止まらない。止まれない。
人は恋に恋し、愛を愛し続ける。
最初に「交わらない恋愛」がテーマとか言ったけど、ガッツリ体は交わってました。