「スマホがない時代、どうやって生きてたんすか」
さりげない現役中学生の一言に、俺は手を止めた。
「まぁ、普通に携帯はあったし……今とあんまり変わらないよ」
「けど、LINEはないですよね。SNSもないでしょ。かわいそう」
「かわいそうって、お前……けど、スマホがない時代も楽しかったぜ。自由つーか、変な顕示欲とかもなくて」
『生きる』ために必要なのは水と酸素とスマホ。生活必需品の域を飛び越え、今や現代を生きるために本能が欲する『栄養』と言っても過言ではない。
現代の中学生がスマホに縋るように、我々ギリチョンゆとり世代はパカパカケータイ(またはスライド式)に甘えてきたわけなので、この「昔の人はどうやって生きてたの」と今の中学生がLINEができない出来損ないデバイスガラケーで満足していたゆとり世代に投げかけるこの質問には一切の悪意はなく順当な疑問だ。
思い返せば俺たちも昭和世代に向かって「昔ってケータイなかったんでしょ、プププw」と無垢な笑顔でバカにしたな。
昭和を嘲笑っていた平成世代も今や「昔の人」。
令和の青春を過ごす若者から新時代の空気が吐き出される。
「この投稿面白くないですか?」
見せつけられたのはインスタのおもしろgif画像。フフっと油断して息が漏れてしまった。悔しい。
「やっぱ中学生もSNSやるの?」
「やりますよー、tiktokとか色々」
「(最初にtiktokを挙げるのか)ほぇー、Twitterは?」
「やってる人もいますけど、あんまりですね。あとはインスタとか」
SNSの話題を振って最初にtiktokが出てきたことに驚いた。
私の周りは全くだが、tiktokは小・中学生の間でダウンロードが義務化されたのではレベルで流行っているようだ。そもこれはSNSなのだろうか。
クラスメイトの中には「いいね」的なものを山ほど貰ってアイドル活動をしている?tiktokerもいるらしい。すごい。
猫耳を生やした可愛い女の子がニャンニャンとダンスするのを見るとやましい微笑ましい気持ちになるが、一歩引いて見るとやはり昔では考えられない異様な光景だ。
「ほら、面白くないですか?」
液晶の向こう側で軽快で難解な音楽とともに作為的な笑顔を振りまく少女と目が合った。
「……なにが面白いのかわからん」
その言葉を吐いたとき、ふと自嘲気味に息が漏れた。
追いつけない感性を理解しようとせず「わからない」と突き放す。自分はだいぶおっさんらしく、昔の人らしくなってきたなと。
そして「今と違って昔は良かった……」なんて嘆いたとき、俺は「大人」になったつもりで過去に執着してしまうのだろう。
昔の人にも「今」があることを忘れて。