コロナ後の日本
今年は春がなかったような気がする。
半袖でレポートを書きながら、額に汗をかきながら、季節はすでに夏季ながら。
清らかな春とついでに東京オリンピックも失った令和2年。その夏が始まろうとしている。
コロナは完全に収束に向かい明日にも緊急事態宣言が解除されるだろうと言われている。
私は不謹慎を承知で堂々と述べさせてもらうけども、この非日常に今まで感じたこのないほどの高揚を感じていた。それは沈鬱している世間に冴えない自分の半生を重ね「やっと住みやすい世界になったぜ」とかニヒルにきめちゃうようなチープな期待感ではない。旧態然に趣を見出す古き良き日本はこの出来事を通じて何かを得て、何かを生み出し、何かを授け、そして何かに変わるのではないか。そんな変化への期待に胸が高鳴った。
だがおそらく日本は日本のままだろう。
311を思い出して欲しい。あのころはよく「311後の日本」とあちらこちらで耳にした。元号すら変わってないのにまるで新しい時代の到来のように扱われていた。はたして時代を区分できるほどの変化はあっただろうか。たしかにあの出来事は沢山の不幸を生み、多くの人の生活を変えた。しかし国は、時代は、なにも変わらなかったと思う。
だからまた同じことが繰り返されるだろう。生活は変わるが、国は変わらない。時代も変わらない。
けどもうそれでいいと思う。だって10万円貰えるし、検事長の立場なんてこれまで知らなかったし、政治の''在り方''が正しいかも分からないし、国が国がと問題提起をすれば右翼と勘違いされるし、正直、もう国に期待してないし。
これにてコロナは一件落着。不倫のニュースに「くだらねぇ」と呟きながらもチャンネルを変えずに眺め続ける、そんな日常が戻ってくる。
700文字 5分