「あなたは山里とは違う」
「あなたは山里とは違う」
「あなたは山ちゃんにはなれない」
「あなたは全く違うから」
聞き覚えのある声が反芻し続ける。
自慢ではないがここ最近、眠りについている自分を自覚しながら夢の中を過ごしている。これを明晰夢というらしい。つまり妄想の中で自由に過ごせる理想郷なわけだが、場所や登場人物はどういうわけか選べない。その声の先にいるのは思い出の人で、しばらく会ってない人で、別に会いたいと思ってない人で、つまり思い出の人でいいやつだ。
夢に落ちるその瞬間まで志田未来と一緒に登校していた頃を”思い出しながら”(※想像や妄想ではうまくいかないので思いっきり”嘘で塗り固めた記憶”を思い出すのだ)床に就いても、一度も現れてくれないくせに、雰囲気はあのころのままの大切だった人(大切だったって表現は少し寂しいかな)とかがひょいひょい出てくる。
未だ鳴り止まぬ山里、山ちゃん。その名前はもちろんお笑い芸人南海キャンディーズの山里亮太を指す。この夢は嘘で作った記憶ではない。わたしはリアルでその言葉をぶつけられた。
人生史上もっとも不可解な怒りをぶつけられたできごとである。このあと壮大な殴り合いを繰り広げたとかも全くない。隣にいた大切な人が突然キレたできこと以上に発展することはない、薄すぎる記憶の一片。ただその一片はゴミ回収の日に出し忘れているのか、それとも意図して捨てようとしてないのかわからないが、未だ記憶の片隅に残っている。
「なんでそんなキレてるの」
「山ちゃんになれないことくらい知ってるよ」
夢の中の自分の口が自然と動く。この言葉はあの時口にした言葉だ。なんと情けない言葉。優しい男を勘違いしていたころの私らしい反論。リングにすら立つことを選ばず、サンドバックになることを選んだんだ。それだけははっきりと覚えている。
あの時、もし
「お前も蒼井優にはなれないよ」
と狙い澄ましたアッパーカットをかましていたなら今頃この記憶は痛快物語としてリサイクルされていただろう。酒の肴にもなっただろう。
あの時キレなかった自分への後悔が、今も根強く残っている。けして幸せな時間への未練ではなく、愛の残滓なんかでもない。ただ時間をかけて、やっと今になって目の前にいる相手として向き合えるようになった。だが夢の中でも私はまた”優しく”なってしまう。
ぼやけた天井を眺めながら枕元のメガネに手を伸ばした。
朝のルーチンはまずテレビをつけることから始まる。
寝ぼけ眼で洗面台に向かいながら耳は朝の音を探している。
『土曜はナニする!?』
右耳でその音を手繰り寄せるように振り返れば、
赤いメガネが光っていた。