淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

1ヶ月ぶりの更新と私の日常

こうしてブログを書くどころかノートパソコンを触ること自体大変久しく感じる。

今日は有給を取ってので昨日の文化の日を含めて2連休を過ごしたことになる。これから仕事が繁忙期に入るため連休とはしばらく距離を置くことが決まっている。今のうちに逢瀬を重ねなければ休みそのものと縁が切れてしまいそうで怖い。何かに追われるように、その正体はもちろん仕事なのだが、いずれ消えちまう休む権利を半ば無理やり消化していく日々が続いているが、有給は悠久とはいかない。これが言いたかっただけである。

今は18時46分、場所はコメダ珈琲のカウンター席。2階から見える景色は、残念ながら街路樹に隠れてしまっているので、夜の木漏れ日の先に息を吹き返した夜の街を想像する。いや、想像はしない。木が邪魔だなぁと思うだけだ。

ブログを更新するのは久しぶりだと確認してみたらなんと10月は一つも書かなかったようだ。書く時間がないほどに忙しかったのか、充実する日々に吐口のブログは不要だと思ったのか、何もしなくても毎日30円くらい稼いでくれるブログに飽きてしまったのか、書かなかった理由は当人しから知らず、故にどうとでも言い訳できるし、なんなら休止期間に密かに書き溜めた大作をここに投稿してもいいのだが、中二から熟成している物語を語るにはいかんせんと歳を取りすぎてしまったというこれもまた書かない言い訳なのだが、別に誰かに迷惑をかけるわけでもないので、こういった長々とどこまで文章を繋げられるかなぁといった遊び心を片手間になんとなくブログという存在が遠のいた理由について思いをはせれば、まぁ単純に忘れていただけなのだ。

ということで2021年10月に残された私の言葉はないということになる。嘘だ、Twitterがあった。あれはアラサーの夜泣きみたいなものだから言葉ではないし、意味もない。

ところでコメダ珈琲のサンドイッチは具が多すぎて食べにくいでお馴染みだが、これは用意されたフォークを使えば綺麗に食せるものなのだろうか。コメダに造詣が深い方はぜひここでのテーブルマナーを教えても欲しい。

お粗末な形で潰れたミックスサンドをテーブルの左端に寄せて続けよう。

書くことを忘れていた。ということはこの1ヶ月特に何もなかったことを意味する。それは大きく語ればきっと平和と同義だし、これこそが幸せと噛み締める人もいるが、多くの若者は「刺激が足りない」とか「変化がないのはつまらない」と愚痴るに違いない。もちろん私もまだ若者側だ。肉体も精神も柔らかいうちに(気持ちいい)刺激を受けて、(望むべく)変化の中で(何不自由なく)成長していきたい。え、甘え?

つまりこの1ヶ月、私は私の日常を過ごしていたのだ。

仕事がめんどくさいなと思いつつもスケージュールを確認しながら曜日ごとの決まったネクタイをぎゅっと締め、決まった時間の決まった車両の決まった場所にもたれかかり決まった場所に運ばれていくのを週5回、往復10回、週によっては最大往復14回。

あーもうだめだーおわったーと叫びながらも、そのココロに反して体は動いてしまう自分の強さと誠実さを呪いながら靴底をすり減らしていく。隙間時間に飲むコメダのアイスコーヒー(加糖)の一口に小さな幸せを見つけたのも束の間、着信と共に苦しむココロは強靭な肉体に引っ張られていく。

仕事は大変だし、辛い。やれることは多くなったけど、やらなきゃいけないことも、やらないほうがいいことも、やっちゃいけないことも多くなった。やりがいはアイスコーヒー(加糖)のように目の前に運ばれてくるものじゃなくて、塩の山から一粒の砂糖を舌先で見つけるようなものなのだ。あ、この一文しっかりハマった感じあるけどどうかな。

それが当たり前になった。いつもになった。普通のことになった。それが日常になった。

書いててしみじみ私は社会人になったんだなぁと、なってしまったんだなぁと実感している、なう。勘違いさせそうだが、ここに諦観はない。変わらない日々に思いを馳せるほど老成してない。みんなと同じように(足裏マッサージくらいの)刺激は欲しいし、安定よりも(衣食住が保証された上での)変化を望んでいる。

だが、今の日常に不満はない。

あ、これまた勘違いしてほしくないのだが、会社には不満しかない。

その不満もまた日常である。

今の時刻は19時33分。外はもう真っ暗だ。景色は見えないが懐かしい喧騒が窓の向こう側にあるはずだ。あ、今日はまだ木曜日か。明日の仕事やだなぁ。

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