淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

画面を触れた感動をもう一度

小学生のころ友達がいきなりipod touchを見せてきた日を覚えている。画面をタッチして操作する感動はニンテンドーDSで味わっていたが、タッチペンを介さず指の動きをそのままなぞるった通りに反応する画面はそれ以上に僕を感動させた。

それから10年以上が経ち、画面はむしろ触るものとして定着した。

新時代の到来を思わせた僕のあの記憶は白黒からカラーに移り変わった頃を懐古する昭和世代を特集するように、”平成の感動”としてアーカイブされるのだろう。四半世紀生きるというのはそういうことなのだ。

 

次にあの感動を味わえるのはいつなのだろうか。全く新しい体験、これから世界はどうなっていくんだろうという高揚感と期待感。

私はそういう意味でメタバースに大変期待している。肉体と精神はこれまで人間にとって切り離すことのできない二つだったが、流行りのVtuberを見ていると精神が独立してもう一つの世界で生きている様に見える。「精神は肉体を無視して外側と直接接触できない」と言い切っていた三島由紀夫すら現世(内)から電脳(外)に精神を移し替えることが表現手法の一つとなり、ウサミミ黒タイツの女の子が世界中と接触しているこの時代を想像はできなかったようだ。そりゃそうだ。

しかし精神をVtuberの世界に飛ばしても、肉体から解放されるわけでない。ここが現在におけるメタバースの限界だ。お腹は空くし、トイレに行きたくなるし、眠くなるし、欲も湧いてくる。肉体って結構邪魔なのである。移動手段は足だし、使用年数を重ねるごとに故障が増えていくし、自分好みにカスタマイズできないし、解消されないバグが生まれながらに発生するし、クーリングオフも製造者責任法も適応されない。

 

仮に肉体の柵から完全に解かれて生きることができるとすれば。それはまさに人類にとってユートピアなのではないだろうか!

今日はテレワークをしようかな、今で言うそんなテンションでVRを着けて「今日は電脳世界を生きようかな」と生き方を選択できる。そこでは自分好みに作られた自分が待っている。設定も充実していて、全く疲れを感じない特性をオプションで付けたり、性転換したり、粘土のような柔軟性にしたり、幼少期の自分になったり充実。もちろん課金が必要。現世にある肉体のケアも忘れない。脳から爪先までぶっ刺さっていている電極や点滴によって生命活動は維持され、電極に刺激された脳は五感はもちろん、そこに相手の体温すら感じることができる、故に性欲も自分が望む理想の形で解消可能だ。しかし定期的に点滴の補給をしないと肉体が死んで強制的に永久ログアウトしてしまう。そこで政府は電線と並行して栄養チューブを日本中全世帯に張り巡らせた。これで長年死因1位だった餓死問題は解決された。

経済活動も電脳世界が主流だ。

「〇〇部長ってなんでまだ肉体使ってるんすか、変な人っすね」

「ほら、、あの人は平成の人だから」

「聞こえてるぞ!この肉体は親から授かったかけがえのないものだ!電脳なんて信じられん!」

「「なるほどですねぇ〜…」」

 

人間である以上生まれた故郷は現世であるから、たまにはあっちに戻りたくもなる。久しぶりに味わう重苦しい肉体を背負うように上半身を起こして窓から外を見た。人の姿はまばらだ。人類の大半はあっちに引っ越して、こうやって戻ってくる人はごく僅かだ。風に飛ばされそうな程やせ細った人々が虚にどこかへ向かっている。最低限の栄養を摂取した肉体には最低限の筋肉しかつかない。雨風を凌げる最低限の部屋にある一台のベッド。そこにに腰掛ける私は立ち上がるように自分の肉体を操作した。

なんかこういうSFないかな。

 

そんな感じにもう一つの世界が確立されて、そこに触れることができたのなら、その感動は画面をタッチしたあの頃と重なるだろう。これから世界はどうなっていくんだろうねー。

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