淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

新卒で早期退職したあの頃を振り返って。

今の会社に入社して3年が経とうとしている。新卒1週間(正確には8日)で退職したあの日からもうそれほど時間が経ったのだ。時間の流れは早いねと何度も言ってるうちに第二新卒の肩書きを堂々と使うことに躊躇う年齢になってしまい、何でもできる!無限の可能性が狭まったおかげだろうか、この頃落ち着いて昔を振り返れるようになってきた。まだまだ幼くて精一杯言葉を並べてる自分が向こう岸で叫んでる。たった3年前なのにだいぶ遠くにきたみたいだ。

今日は久しぶりにお休みをいただいたので(社畜謙譲語)、少し文字にして振り返ってみたくなった。

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長らくこのブログを読んでくれている方はご存知の通り、当初はとにかく"!!"で溢れていて、行き所を無くした感情の昂りがヤバかった。

退職後に昂りそのまま友達に愚痴った。その時返ってきた言葉は「みんな我慢してるんだよ!」「いくらなんでも早すぎる」「ほんとおかしいよ」。叱咤叱咤叱咤…ときたま同情または憐憫。開く口に酒を流し込まれ心身共にフルボッコにされた。

1人寂しくなってSNSを覗けば「同期と飲みに行く〜」「研修がめんどくさい」と社会人が画面を埋める。そうやって社会人アピールをして無職の私を見下してる、誰も俺のことなんか理解できないし、心配してないんだと日々嘆いていた…

振り返って。うーん、そりゃそうだわな。新卒1週間で辞めたやつの気持ちなんか普通の人には分からないし、分かりたくもないし、分かる必要もない。私もさっさと忘れたい。無職の私を見下してる?んな当たり前だ、五体満足で大学まで出てるのに仕事してないんだもん。誰も心配してない?本当に心配してなかったら一緒に飲んでくれないだろ!よくもまぁここまで落ちぶれてたものだ。

しかしそれに気づけてない私は既存関係からの孤立、普通から離れていく孤独感に苛まれ、縁起でもないが"この世界から消えてしまいたい"そんな感情に縛られていた。

だから私は新しい関係を求めて縋る様にTwitterを始めた。NEAT垢の誕生である。ここもだ〜いぶクセが強かったんだけど、それはまた別の時に。

 

新卒1週間で辞めたことに自分はここまで追い詰められてしまった。それでも正解だといえるのか。

正解だった。

間違いだったとすればあの会社を選んでしまったことだ。ただ速攻で辞めるのではなく、給与が交通費と相殺できるタイミングで退職をかましたのは大正解だった。

仕事を辞めたことで得たことも沢山あった。明日も仕事なのに無職と飲んでくれたり、夜中ドライブに誘ってくれて励ましてくれたり、しばらく会ってない友達が心配してくれて久しぶりに再会できたり、留学に行って一年卒業がズレた友人と一緒に海外旅行に行ったり。ほんと周りに助けられたのだ。あらためて友人の存在に心から感謝した。みんなありがとう。

 

なぜあの瞬間、辞めようと決心したのだろうか。辛い、の内側にある本心を今掘り起こしてみる。

私はあまり汚い言葉を文字に残したくないのだが、新卒で入ったあの中央区にある広告代理店はゴミのような…否、ゴミだった。

 

「あの人たちみたいになりたくない」

 

辞めた理由はただそれだけだ。

思い返せば悪い人たちではなかったのかもしれない。彼らは私に意地悪をしようとも、いじめてやろうと、早く辞めさせようとも思ってなかった。むしろ若者の入社を歓迎し、喜び、ただ"フツー"に接していたのだ。しかしその会社のフツーが私には到底受け入れられるものではなかった。

手厚い研修を望んでいるわけじゃないし、教育体制が整った組織が正義だとも思わない。会社の数だけフツーがある。私はたまたまそのフツー合わなかった。それだけ。

大人になる、それは自分の鋳型を所属する組織に削り合わせていくことだ。天才はそのまま形で世界に受け入れられてもらえるが、凡人はありのままでは社会にハマれない。だから自分が比較的心地いいという居場所を精一杯探す、それが就活だ。私はそれを怠った。

あの時、私は会社にかたどられた自分を想像した。それは夜道に束になって転がっているゴミに見えた。汚らしいそれはリサイクルできるかもしれないし、肥料として活用できるかもしれない。人によってはアンティークと形容するかもしれないし、夜道を離れたところでは素敵なパパとして利用されているのかもしれない。だから私は彼らが無価値だとは思わない。しかし私が見ている世界では彼らは汚らしいゴミ同然だった。

私はゴミになる前に離れた。というより自分がゴミになることを恐れて逃げた。ということである。そのせいで無職という彼ら以下のクズになってしまったのは最大の皮肉だが笑

 

そもそも就活を怠ったという意味で大学4年の自分は腐っていた。しかしその後の人生をダストボックスで過ごす必要はない。もしかしたら発酵して旨味が増すかもしれないし、乾燥させれば保存食になる可能性もある。だが間違いなく鮮度は日に日に落ちていく。期限が見えてきてやっと体が動き始める。私は夏休みの宿題は最終日に終わらせる性分なのだ。

さて、これからどう自分を加工していこうか。楽しみで仕方ない。

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