淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

まだ言葉に縛られていない頃

お題「人生で一番古い記憶」

何年前の記憶か定かでないが、そこは当時通っていた保育園の2階にある教室だった。階段を登ってすぐ左側にあって、入り口は二つの引き戸。隣に1歳児のコアラ組があったからこれは2歳の記憶だろうか。たまたま2階で過ごす日だったのかもしれない。

20年ぶりに掘り出した記憶は他の景色も引き連れてきた。ひな祭りの時期になると階段の前に雛人形が飾られていたな。1階の玄関から入って左側に給食室と職員室があってその日のお昼ご飯が飾られていた。庭には2階から1階に降りられる石の滑り台があって滑り心地がとても悪かった。その滑り台の下に泥団子を隠しても、翌日には砂と化している不思議。おままごとはなぜか砂場の横でやることが多かった。プールも備え付けてあって、水が張られていない時期はそこでヒーローごっこをしていたっけ。うわ、恐ろしいほど覚えている。もう20年以上前なのに。

その景色に浮かんでいる人生で一番古い記憶は、好きなおもちゃを誰かに獲られた記憶だった。緑色の宝石が輝く変身ベルト、それは腕に巻くタイプだった。なにレンジャーだったのかも知らなくてもそのカッコ良さは理解できたら。そしてそれは保育園に一つしかないおもちゃだった。

古今東西、児童が見てる世界の秩序は道徳で縛られていない。強いやつ、ずるいやつ、早いやつが全てを勝ち取ろうとするアナキズムの集合体。それが保育園、幼稚園だ。そんな彼らに政府的立場を教え込ませるのが先生の役割になる。

わたしは昔から手を出すのが早いやつだった。その日も難なくベルト最初に手中に収めることができたのだが、腕につけようとした瞬間誰かに横取りされた。かなり暴力的なやり方で。そう、早さは強さに勝てないのだ。恋愛の世界もそうだよね。

その理不尽に私は怒った!ような、ふてくされた……ような、泣いた( ;  ; )ような、掴み掛かった💪ような。自分がその後どうしたか全く思い出せない。

あの瞬間は今でもはっきり覚えているし、それがとても嫌だったなぁと振り返ることもできる。だが感情を言葉にするにはまだ幼すぎる年齢は感覚しか残せず、思考を保つ手段がない。ゆえに後悔とか反省に結びつかないから子供は何度も同じ過ちを犯してしまう。まぁ2歳児が自責の念を感じてたら生きづらすぎるから、感覚で生きるべきだし、生きていいのが子供だ。

わたしも言葉から逃げて感覚で生きたい。税金、家賃、食費、彼女、結婚、貯金、仕事、出世、子供、それら全てを引っくるめた”大人”から逃げたい。

そう思っていた時期が僕にもありました。ただ言葉に縛られながら傷みつけられる楽しみもあるじゃないですか、ああ、ありませんかそうですか。なにより自由に思考して自由に行動できるというのは大人の特権だなとも思います。もし、保育園児の時に自由を手にしていたらきっと私はあの変身ベルトをトイザらスに買いに行ったことでしょう。それでは人に奪われる痛みや悔しさを学ばずに身体だけ大人らしくなっていたことでしょう。

考えろ、考えろと思考し続けている今が20年後、40年後の自分になにか残せていればいいなぁと過ごす今日この頃です。

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