淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

【WBC日本優勝!!】その精神力こそプロたる所以

日本代表侍ジャパンWBC優勝おめでとう!!

 

大谷選手が投じた締めのスライダーにはとても痺れました。まさに漫画の主人公。同じ日本人、同じ男、同じ岩手県出身、同じ…あれ共通点って3つしかないのか。もう一つありました。同じ人間として誇りに思います。

テレビ前でソファに体を預けならが観戦している私は骨関節の全てを震わせながら緊張しているのに、異国アメリカの土地でアメリカ選手を前にして立っている選手たちはその抱えているプレシャーを表に出すことはなく熱い勝負を繰り広げるものですから、卓越した技術もさることながら、その精神力こそプロと呼ぶに値するのだなと実感しました。その男たちはみなとてもカッコいい。

社会人になると何かと年収面で人間評価を下しがちですが、ファンやチームや国の期待感をしっかり背負いながら堂々と戦う男らしさこそプロ野球選手、プロスポーツ選手がモテる所以なのかもしれません。

テレビカメラが向けられることがない日常を過ごす我々も毎日なにかと戦っていますが、日本国民何千万人から期待をされるような一発勝負事の舞台と比べればそれは小さい小さい。年下のプロ野球選手が増えてきて「俺はなにやってるんだ…」とぼやくよりも「大谷のプレッシャーに比べたら現状なんてなんその!」と重い腰を上げる。歓声も名声も聞えることなく、耳に届くのは肩骨の鈍い軋みだけですが、それがテレビのこちら側にいるカッコいい男の姿なのではないでしょうか。何千万人から注目を浴びることはなくてもきっと誰かが、身近な誰かが応援してくれているはずです。

 

とか思わないとやっぱ惨めだし、寂しいじゃん!

 

私めは最終面接に落ちて大変ショックな今日でしたが、WBC優勝のおかげでその辛さは相殺できたような気がします。がんばろう( ;  ; )いやーあれは受かったろう…」

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悩む。

大変私は悩んでいる。

悩みがあることに悩んで疲れる。

なんで悩むんだろうと悩み続ける。

こんな悩みに悩まずもっと生産的な悩みで悩むべきだ。

答えが出ない悩みは馬鹿らしいよなぁと悩みながらも、はて「悩む」ってこんな字だっけ、と悩みはさらなる悩みを連れてくる。

悩みが悩みを呼び悩みながら悩むことに悩み続ける自分に悩む。

すでに"なやむ"が認知できず悩む中で、これはゲシュタルト崩壊かなと悩むが既にある悩みが悩むことを邪魔して流れ出る悩みに悩めない。

しばらくはずっと悩み続けるであろう自分という悩ましい存在が今の最大の悩みだ。

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句点の癖をなくすために。

はてなブログの自己紹介には「もうすぐ23歳」と書かれているが、すでにそれから4年経つのに変わってないのは怠慢他ならぬわけだが、もう4年経つのなぁと感慨深くあらためてこのブログの歴史を辿ってみると開設そのものからは6年が経ち、記事の数は知らぬ間にもうすぐ300を迎えようとしていることに気づいたので、なんのアニバーサリーでも記念でもないけど、振り返り記事を書こうとキーボードに手をかけた時に最初に思い浮かんだのは”成長”の二文字だったので、金言「継続は力なり」についてつらつら書こうと思ったが、継続は力なりを実感することは全くねぇことにも残念ながら気づいてしまったのだけれど、それだと成長しなかった残念な人というか成長の限界を迎えてしまった可哀想な人のレッテルを自ら張ってしまうことになるので、偏差値50から抜け出せない頭をこねくり回して見つけた成長「まぁ語彙力は少しくらい上がったんじゃね」的な結論はブログというより読書の方に起因してそうだが、とりあえず6年やってみてこれが仕事になることも、生活の一部になることもなく、自分の趣味の枠組みの限りなく外側に位置する、いつやめてもおかしくないのだが細々と続けている時間潰しであることは確かで、別に「よっしゃ今からブログを書くぞ!」と腰をあげたことは一度もなく、気づけば指先を縦横無尽にスライドさせていたり、ホームポジション慣れが最後までできなかった右手人差し指を機敏に動かし文字を入力しているので、やはり今の私にとってブログは生活の一部といっても過言ではないのかもしれないというある種の自信を掲げながらしかし、井の中の蛙大海を知らずという言葉を忘れたことは一度もなく、その自信は”井”どころか”5.5畳1K”の蛙の慢心にすぎないことをよく理解しているので表立って「趣味はブログです」なんて言葉は言える余地もなく、この書き物を趣味と言わないのは私の謙遜からくるものであるのはみなさんご存知であろうが、それでもやはり何かしらの価値を残したいと思って始めたアドセンスでありアフィリエイトは年に8000円程度のお小遣いを外資系大企業からいただいている事実は、言い様によってイケてる自由人を演出できるが、実情はかなり寂しいもので間違えてクリックしてしまいそうな場所にトラップ(広告)を差し込むという意地悪な成人向けサイトを彷彿とさせるような(それを参考にさせてもらったのは言うまでもない)作り方ぶち込む今思い返せば血迷っていた時代もあったが、やはり書き物にたいしての無礼、もって文学部への非礼だったなとたいして思い入れもない所属学部への自負心を掘り起こし巧みに解釈することで許される程度の広告配置にしようという善心に昇華され今のブログの形になったのだが、「だったら広告全部外せよ」とキラーボールをコメントに投げ込まれたら運動神経よろしく海馬までもが鈍足な私は逃げることも避けることもましてボールが飛んできていることに気づくことすら、できないのだがらせめてやさしく「もう少しこうしてくれたらうれしいです」的なフライボールを投げてくれると私は千鳥足でボールの飛行を見定め、腕を空高く伸ばし、グローブに衝撃を感じ、その瞬間左手に力を込めることまでは約束するが、キャッチできるかは確約できないのが私であるから、そんな惨めな私であるから、これからも公園でキャッチボールをしている親子を温かい目で見守るような気持ちでこのブログをお供にしてくれると大変嬉しく思う。

 

なんか書くことないので句点なしで1000文字以上埋めてみる遊びしてみました。

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「あなたは山里とは違う」

「あなたは山里とは違う」

「あなたは山ちゃんにはなれない」

「あなたは全く違うから」

 

聞き覚えのある声が反芻し続ける。

自慢ではないがここ最近、眠りについている自分を自覚しながら夢の中を過ごしている。これを明晰夢というらしい。つまり妄想の中で自由に過ごせる理想郷なわけだが、場所や登場人物はどういうわけか選べない。その声の先にいるのは思い出の人で、しばらく会ってない人で、別に会いたいと思ってない人で、つまり思い出の人でいいやつだ。

夢に落ちるその瞬間まで志田未来と一緒に登校していた頃を”思い出しながら”(※想像や妄想ではうまくいかないので思いっきり”嘘で塗り固めた記憶”を思い出すのだ)床に就いても、一度も現れてくれないくせに、雰囲気はあのころのままの大切だった人(大切だったって表現は少し寂しいかな)とかがひょいひょい出てくる。

 

未だ鳴り止まぬ山里、山ちゃん。その名前はもちろんお笑い芸人南海キャンディーズ山里亮太を指す。この夢は嘘で作った記憶ではない。わたしはリアルでその言葉をぶつけられた。

人生史上もっとも不可解な怒りをぶつけられたできごとである。このあと壮大な殴り合いを繰り広げたとかも全くない。隣にいた大切な人が突然キレたできこと以上に発展することはない、薄すぎる記憶の一片。ただその一片はゴミ回収の日に出し忘れているのか、それとも意図して捨てようとしてないのかわからないが、未だ記憶の片隅に残っている。

 

「なんでそんなキレてるの」

「山ちゃんになれないことくらい知ってるよ」

 

夢の中の自分の口が自然と動く。この言葉はあの時口にした言葉だ。なんと情けない言葉。優しい男を勘違いしていたころの私らしい反論。リングにすら立つことを選ばず、サンドバックになることを選んだんだ。それだけははっきりと覚えている。

あの時、もし

 

「お前も蒼井優にはなれないよ」

 

と狙い澄ましたアッパーカットをかましていたなら今頃この記憶は痛快物語としてリサイクルされていただろう。酒の肴にもなっただろう。

あの時キレなかった自分への後悔が、今も根強く残っている。けして幸せな時間への未練ではなく、愛の残滓なんかでもない。ただ時間をかけて、やっと今になって目の前にいる相手として向き合えるようになった。だが夢の中でも私はまた”優しく”なってしまう。

 

ぼやけた天井を眺めながら枕元のメガネに手を伸ばした。

朝のルーチンはまずテレビをつけることから始まる。

寝ぼけ眼で洗面台に向かいながら耳は朝の音を探している。

 

『土曜はナニする!?』

右耳でその音を手繰り寄せるように振り返れば、

赤いメガネが光っていた。

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自称読書家が今更読んだベストセラー「君の膵臓をたべたい」

「趣味はなんですか?」

「趣味はなんですか?」

この質問は至る所で投げられ、心の鍵となる。距離感が測り得ない相手を前に地雷を踏むことなく(趣味はありませんと答えてきた場合を除く)、それとなく会話の糸口となる便利な質問だ。

それに私はこう答える。

「えー、読書と〜…」

さて相手にどこまで自分を晒そうか、趣味=ギターはまぁ大丈夫として、バイクはどうかな。興味ない人にはヤンチャな印象を与えてしまう可能性もあるし。そもそもここ2年くらい乗ってないから趣味にカウントできるのか。じゃあ映画鑑賞…は目の前の人がガチ勢だったら大変危険だ。ガチ勢ほど趣味にとりあえず映画と答えるニワカを敵視する。アニメもやめた方がいいな、オタクとは縁がなさそうな空気を纏ってるし、喫茶店巡りなら多分ウケがいいはずだ。喫茶店に縁がありそうな空気を纏っているし・・・

と、答えを紡ぐその瞬間に様々な葛藤があるわけだが、趣味を聞かれればどんなときもまず「読書」を頭に持ってくるくらいには本が好きである。人より本に触れている自信はあるのでまぁ比較の表現が行き着く妄言として”読書家”と自称してもよいだろう。

 

そんな自称読書家は実はあまりベストセラーを読んだことがない。大変お恥ずかしいことである。なので私の趣味は読書です発言に食いつかれると困ることが多い。

「私、この前、鏡の古城読んだよ!」

「あ〜、最近映画化して芦田愛菜が声優やってるよね〜」

と全く内容に触れることなくYahoo!トップニュースから引っ張ってきた情報でやり過ごす。メディアミックスされた作品ならアニメ、映画の趣味範囲からも情報が来るから対処できるが、嬉々として話を併せてくれる相手の口から”タイトルしか聞いたことない本”が出てきた時はこう言い切るしかない。

「あ〜本屋に平積みされてるよね」

 

「君の膵臓をたべたい」ってなんだよ

流石に情けなくなってきたし、自分の3年ぶり第三次西尾維新ブームも落ち着いてきたのでベストセラーをどんどん読んでいこうぜ!ということで今回たまたまブックオフの100円コーナーで手に取ったのは「君の膵臓をたべたい」だった。

住野よるの作品は久しぶり〜👏

「青くて脆くて痛い」と「また、同じ夢を見ていた」は読んだことあったけどこの代表作はあらすじすら目を通したことがなかった。これが俗にいう天邪鬼。

あらすじは久しぶりにはてなブログの引用機能を使わせていただきます。

ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて―。読後、きっとこのタイトルに涙する。「名前のない僕」と「日常のない彼女」が織りなす、大ベストセラー青春小説!

「あは〜余命わずか系ね〜 最後に読んだの小学生の頃に読んだ恋空が最後だわ。まぁ住野よるさんだし後半に効いてくるボディーブローみたいな伏線張って、最後にパンチ決めてくるんだろうけど、まぁこのタイトルも伏線なのかな。あらすじに余命わずかって書いちゃってるから始まりと共に終わりが見える恋愛物語ってとこ?いや死期が近い女子高生が恋愛を”始める”余裕があるっていうのも変な話だろ。それに・・・」

とオタク特有の早口脳内独り言を呟きながら表紙をめくった。

 

評価:星4.5です!

いやー、いい話だった( ;  ; )

まず余命わずかのヒロインの山内桜良がとても可愛い。軽快な口調と歯に衣着せぬ物言い、自由奔放に振る舞う中に寂しさと葛藤が見える。可愛くて生意気。ただ意気は生から少しずつ遠ざかっているんだけど。

まさにMPDG(この略語使ってみたかった)に巻き込まれる男性主人公受身型の”青春物語”。あえて恋愛物語とは言わない。主人公と桜良のコミカルなかけあいが面白く、それぞれの成長(これが少年少女の醍醐味!)もしっかり見えた。そしてなにより後半の話の展開が衝撃的すぎて、ただちゃーーんと伏線が貼ってあって、そこに気づいてるようで気づいてなかった自分に気づいたりして…色々語りたいけど話の核心に触れてしまうのでここでは語らず。

読み終わった私はゆっくり裏表紙を閉じました。

「死に直面してよかったことといえば、それだね。毎日、生きてるって思って生きるようになった」

「どんな偉い人の言葉よりも心に響く」

「でしょ? あーあ、皆ももうすぐ死ねばいいのに」

p.63 君の膵臓をたべたい/住野よる

 

ベストセラー恐るべし

売れるものには売れるだけの理由がある!

発言が当たり前のことを堂々と言うアホのマーケターですがあらためて実感しました。てか住野よるの作品だいぶ自分に刺さるんだよなぁ。主人公が酷すぎるという意見も少なくない「青くて、痛くて、脆い」なんてその主人公がモロに刺さったし。あれ実写の吉沢亮がいい演技するんだよなぁ・・・心の整理がつかない故の陰湿が国宝級イケメン顔を霞ませるんだよねぇ。君の膵臓をたべたいも実写化されてたはず、主演は・・・北村匠海

あ〜、ちょうどいい!

 

記録更新!

ついにわたくしの体重が記録を更新しました!

いえーーい!ぱふぱふ🙌!

 

まじか・・・

記録更新して気づいたことはデブ化が顔に出にくい体質らしい。あー、鏡の中に多少肌にハリがなくなったアラサーがいるなぁとしか思わなかったが、これまた脱いだらすごかった。

体を捻ると横っ腹に見覚えのない段差がぼっこりと。あらあら、お腹周りの肌艶はまだまだ綺麗だべさ、と無視を決めることもできず、指先で優しくつまむととフニっフニっ・・・ああ、これは綺麗な脂肪ですね。

生活のリズムが大きく変わったから仕方ないとはいえ、中年太りがこんなにも進行しているとは。最近脱ぐ機会もないから、そりゃもうめっきりご無沙汰だから完全に気を抜いてたけど、このままでは逆の意味で”脱いだら凄い”になってしまう。

ということでジム通いを1年ぶりくらいに始めました。数字とは残酷なもので、体重もそうだけど、ランニングペースもまた顕著にデブ化を突きつけてきた。「そりゃ10キロ50分で走っていた頃より13kgの重りを背負って(抱えて?)走ってるんだもん」とか自慢なのか自虐なのかわからない言い訳をしてる場合じゃないくらいダメになってしまったのだよお前は。

元々ガッチリ型の肉付きだったけど、ここまで太りやすかったかなぁ。そんな酒も飲まないし(当社比)、ラーメンもあんまり食べない(当社比)んだけどなあ。これが中年ってコト!?黒烏龍茶にお世話になるのはもっと先だと思ってたよ。

 

このままだと春夏物を着ることができないし、満足に脱ぐこともできないので正々堂々ダイエットをすることをここに誓います。

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スシロー少年

スシローペロペロ事件から再熱したSNS断罪ブームは今なお続いており、身内しかフォローしていない私の穏やかなタイムラインにも毎日のように不謹慎動画が流れ着く。

なんだか屈託のない笑顔で楽しそうにはしゃぐ子供達から滲み出る若々しさに小さじ1杯程度の羨望を向けてしまう。それでも大人の立場からこう言っておこう。

「若さとはここまで愚かなのか!」

…もはや褒め言葉になりそうだ。

 

今日は寿司にアルコールを吹きかける少年の姿を目にした。なんか100円くらいで寿司が握れるグミが売ってたなぁ、あれってまだ売ってるのかな、と別に日本の将来を憂うことなく懐かしのお菓子が浮かんできてしまう程度の感想しか出てこないのだが、ところがどっこい、波風立たない私のタイムラインに漂着してくる不謹慎動画の大半はスシロー以前に撮られた動画らしい。となるとこの断罪ブームに乗ってわざわざ深くまで潜って探ってその動画をサルベージしてきた人がいるということだ。

 

さて、私はブームのきっかけとなったスシローくんに怒りも何もない。ただ「運が悪かったなぁ」と同情している。

少し気掛かりなのは社会正義を謳ってスシローくんを裁いている人間の存在だ。

「特定するなんてやりすぎ!」

「子供の悪ふざけでそこまでしなくても!」

と食ってかかりたいわけではない。ただ一つだけ疑問を投げたい。

「ちゃんと平等に裁いてますか?」

 

社会正義を語る以上、正義は平等でなくてはいけない。スシロー事件後に出てきた許されざる行為に同じ正義が執行されているだろうか。スシローと同じくらい拡散し、スシローと同じ熱量で特定し、スシローと同じ怒りを持って断罪しているだろうか。

否、そうとは言い難い。サルベージされたものはその日限りの内輪ネタで終わってしまっている。なぜだろう。親の教育に怒りを露わにしていた人たち、鼻高々に特定した情報を掲げ不特定多数にばら撒いていた人たちはどこに行ったのだろう。

どこにも行ってない。ただ飽きたのだ。彼らは飽きたのだ。子供がおもちゃに飽きるように。まあ炎上というのはそういうモノだ。熱しやすく冷めやすい。だから私は「運が悪かったなぁ」とスシロー少年に同情する。オモチャが沢山並ぶ陳列棚の中からたまたま彼が、たまたまインフルエンサーの手に取られて、壊れるまで遊ばれた。”壊すのは別に彼じゃなくてもよかったのだ”。たまたま、本当にたまたま、そこにあったことが全ての始まりだった。

 

そんなお遊びに”社会正義”と名付けるのは、正義という言葉に失礼だ。

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弾丸ベトナム旅行(ホーチミン)

ちゃっかりベトナムに行ってきた。

コロナ禍だけど行ってきた。

お金ないけど行ってきた。

 

ワクチンを3回打った私が向かったのは3年ぶり3回目の東南アジア、その東側に位置するベトナムホーチミン。卒業旅行のタイ、再就職祝いのカンボジア、そして今回のベトナム。父方母方含めて一切海外と縁がない血筋に生まれた私がこんなにも海を超えた地を踏む人生を送れるとは。人生とは上り坂、下り坂、そして”まさか”の連続だなぁと実感しながら静かに目を瞑ったが、超満員のLCC機内で半生を噛み締める心の余裕も足場の余裕もなく寝不足気味のまま30℃超えの灼熱の地に降り立った。

 

ツアーを組まずに行き当たりばったりで旅をするスタイルは国内外問わず変わることはない。そのおかげ(そのせい)で今回のベトナムでは久方ぶりに自分の墓標がチラつくこともあったが「これも経験だ」と振り返るこの記事が生還の証左である。

あの時はもうほんと「あーこれまずいなぁ」で手汗ダクダクのまま神に縋り、神か仏かその気まぐれで無事ホテルに着いた時には、薄くなった財布を震える手で握りしめながら「命あるだけ丸儲け!」なんて言い聞かせてその日は眠ったものだ。26才はまた一つ大きく成長できた。言葉が通じる日本人相手ならもう誰も怖くねぇ。

 

さて、驚いたことにホーチミンには日本人が全然いなかった。ベトナムは日本人に大人気の旅先だが、結局最終日まで出会うどころか日本語が聞こえてくることもなかった。見渡せば中国人、韓国人、欧米人、そしてベトナム人。本当に日本人は海外に出てないんだなぁと驚いた。「おうち時間」が文化として定着してしまったようだ。

あとでわかったことだが旧正月の時期と重なっていたらしく中国をはじめとするアジア圏では旅行シーズンだったらしい。航空券が割高で飛行機が激混みのわけがここにあった。

 

そんな日本人がいないベトナムという滅多に経験できない異国の空気を24日を満喫して無事帰国した。ここで語り切ったら会った時に話す話題がなくなってしまうので言葉はここで切らせていただきまして以下に写真をパラパラ並べていきます。

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次はどこへ行こうかしら。