淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

『環境』ってとても大切だよねって話。

『環境』ってとても大切だよねって話。

私のタイムラインにあるツイートが流れてきた。

私はこのツイートを見て「ああ、こうやって差が生まれていくんだな」と思った。

ハイスペックな友人(中学の時は偏差値あまり変わらなかったのに涙)

ちなみにこの発言の主は私の友人Fである。もちろん本人の了承済み。

一見、この発言は意識が高いだけでなんの意味を持たない戯言のようにも感じる。しかし、彼のことをよく知っている私は戯言とは思えない。強い意志を感じる。きっとこの発言の裏には彼が先日行ってきた内定者懇談会での出来事が関係しているのだろう。

彼が来年度の4月から務める会社は誰もが知っている大企業である。特段就活が上手そうなやつではないのだが、TOEIC800点越えを始めとした多様な言語スキルと機械学習に関するPythonの知識(彼の影響で私もPython勉強してます)、そしてあのちょっとメンドクサイ人の好さは高く評価されたに違いない。理系大学生のお手本とも称賛される人材……と私のお墨付きだ。

世間的に見れば彼は間違いなく「高スペック」である。不況だのなんだのと騒がれているが、(収入的な意味では)人生安泰コースに乗っていると言っても過言ではないだろう。にもかかわらず彼はさらに学ぼうとしてる。なぜ就活の結果に浸ることをせず成長を望むのか。

環境がその人の常識を作る

これから言う発言はけして煽りでもないし、勘違いさせるだろうなと分かってるからこんなまどろっこしい前置きをして発言するのだが、

「私は大学に行くことは普通のことだと思っている。」

もちろん見渡せば大学進学を選ばなかった友人も沢山いるし、高校に行かなかった人もいる。その理由はもちろん前向きなものから辛く苦しいものまであるだろう。私は進学しなかった人を見下しているわけではない。ただ「なんで進学しなかったんだろう」と疑問に思うだけだ。私の中で『大学進学は当たり前』なのだ。

こうなったのはやはり高校が進学校だったことが大きいだろう。※なおここでの進学校は『大学進学率が80%を超えている高等学校』を示します。友達が大学に行くから、私も大学に行く。周りを流れる当たり前が私の常識を削り上げ、形作っていった。「みんな受験受験言い始めたから勉強しなくちゃ!」と思って私は「普通の高校生」になるために一生懸命勉強を始めた。そもそも『勉強をすることは普通』という私の常識でさえ周りの環境から自然と刷り込まれてきたものだったと思う。だから、周りのおかげで私は大学までこれたようなものだ。みなさんありがとうございます。(小学校のM君や中学校のY君は特に)もし周りがパッパラパーだったら、今ごろ脳内お花畑の常識に染まり切っていたと思う。えまぁ、大学は…聞くな。

友人はきっと懇談会で同期や先輩を目の前にして、何か火種に触れてしまったに違いない。並みの企業ならば彼のスペックは称賛の嵐で体が吹き飛ぶほどのものだが、夜景が綺麗そうな会場で彼が浴びたのは辛酸の雨だった。今日を境に彼はさらなる努力を始めるだろう。その会社での「普通の社員」になるために

ここに頭いい人はどんどん頭がよくなる図式が出来上がる。頭がいい人はもちろん知的好奇心旺盛な変態パターンもあるが、友人達を見ると劣等感が根幹にある気がする。彼らは普通になるために努力をやめない。そのスタイルが5年、10年と続いて、30歳を超えたとき、それは単純な知識量では埋められないほどの大きな差を持った人間なっていることだろう

 

終わりに ~Pythonで彼女は作れないらしい~

だからこそ自分がいる「環境」は大切なのだ。

「普通」は自分が属するコミュニティによって大きく違う。

つまり普通の水準が高い環境に身を置けば、自然と成長に繋がるんじゃないのかな。

ただ水準の高さだけで仕事を選ぶと『未経験でも1000万!』みたいな会社に釣られちゃうから、自分の価値観と合ってる職場を面接で直接見極めましょう。

 

なお、彼の次のツイート。

知識だけでは解決できないこともあるようだ。

 

最後にこっそり彼のブログを晒しておきます。

覗いてみると「よくわからないけど、きっとこの人頭いいんだろうな」って記事が読めます。

lazystudent.qrunch.io

 

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