それでも私はレジ袋を受け取らない
レジ袋=ゴミ袋だがゴミ袋≠レジ袋
レジ袋が有料化して早2ヶ月。
たどたどしかったコンビニ店員も、今では「レジブクォイリヤスカ」を習得し、客のこちらも「オナシャス」または「ア・ィリアセン」を唱えられる程度には浸透したようだ。
本当はレジ袋が欲しいのに抑えられないエコ精神によって「ア・ィリアセン」を反射的に唱えてしまう人がいる。私である。たとえ弁当を買った時でもつい口に出る「ア・ィリアセン」。灼熱の大地の中をアツアツのお弁当を両手で運ぶ姿は精進に身をやつす修行僧を彷彿とさせる。
しかしこのアンチレジ袋スタイルには一つ問題があった。基本昼食は営業車の中ですますのだが、満腹と一瞥の寂しさを感じるころに「あ、このゴミどこに捨てよう」と気づくのだ。
レジ袋じゃなくゴミ袋。その一心で禁忌「オナシャス」を唱えることもあったが、店員が一瞬見せる(仕方ねぇ詰めてやるか……)的な視線にはなんだか申し訳ない気持ちになった。おま、つい2ヶ月まで当たり前にやってくれてたじゃないか、そんな目で俺の商品を見るな( ; ; )
小心者は結局、エコ精神に身を捧げるしかないのだ。手を伸ばしたのは商品として置かれているゴミ袋。この程度なら痛くない出費だ。ゴミ袋をレジに持っていけば「レジブクォイリヤスカ」が飛んできた。私はゴミ袋のためのレジ袋を私は拒絶する。「ア・ィリアセン。ア・カラアゲボウ・クダサイ」
ゴミ袋と唐揚げ棒を掲げて此岸に出る。急いで営業車に駆け込み、クーラーを全開にしてほかほかの唐揚げ棒を食べる。いつでもゴミが捨てられるように誰もいない助手席に買ったばかりのゴミ袋の口を広げておく。寂しさはラジオ(TOKYO FM)でかき消して、だけどやっぱり寂しくなってふと隣を見ると、そこにはゴミ袋。クーラーの冷気を受け微かに揺れているゴミ袋。ゴミを与えるとクシャクシャと喜ぶように鳴いて、また車内の風にゆっくりと身を任せるゴミ袋。日の光を浴びて白い肌を輝かせるゴミ袋。俺の隣で静かに佇むお前は、唯一の仲間だよ。
だけど、90Lはデカすぎる。
2ヶ月前との変化をお楽しみください。