淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

思い出の曲

クライアント先での仕事を済ませ、社用車を停めてある駐車場まで急いだ。

終業時間まであと1時間。今いる世田谷区の外れから会社までに帰るまでおおよそ40分くらい。急いで帰れば定時前に上がることができるかもしれない。年末の繁忙期を乗り越えた弊社の空気は完全に弛緩していて、暗黙ではあるが仕事が終わった人から帰っていいことになっている。

まだ5時前なのに車道は行き交うヘッドライトに照らされ、頭上には月が浮かぶ。首筋をすり抜ける風から逃げるように車に乗り込んだ私はナビに映る会社名をタッチして帰路を確認する。

真っ赤に染まる環七。それだけで定時上がりを諦めるには十分だった。ならば帰り道は急ぐ必要はない。私は自分のiPhoneを車のBluetoothにつないでApple Musicを起動した。最近追加した順で並んでいるリストをアーティスト順に並び替えて今の気分と相談しながらスワイプしていく。悩むことなく親指が止まった先にはBUMP OF CHICKEN。そんな気分だった。

私はそのまま親指で画面を弾く。再生。聞こえてきたのは”同じドアをくぐれたら”。

 

環八を下って玉川通りに入った。真っ赤に染まった環七に向けてアクセルを踏み込む。アスファルトを削る音が大きくなり、私は音楽のボリュームを少し上げた。HAPPYのラストサビが車内に響き、私も口ずさむ。

”消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう”

”どうせいつか終わる旅を僕と一緒に歌おう”

ふと香りを思い出した。それは冬の香り。それは中学生の時に通っていた塾の香り。駐輪場に並ぶ自転車を引っ張り出し、ポケットに入れた緑のiPodをいじる。夜10時の商店街。付属のイヤホンから流れてくるHAPPY。次々と浮かぶ断片的な懐かしさに小さくため息をついた。10年という時間を超えて鮮明な五感を掘り起こす、音楽の力を実感する反面、どこか恐ろしい。

感傷的な気持ちをかき消すように、ため息に意味を持たせるために、私はタバコを口に加えた。赤信号に車が止まったことを確認してからゆっくりと火をつけた。吐き出された濃い白煙がフロントガラスに当たって車内に広がる。今この瞬間はタイヤが擦れる音も、バンプも聞こえない。曲と曲の間にある数秒の静寂の中で私の呼吸だけがはっきりと聞こえた。

 

人生最高の日を私ははっきりと覚えている。

それは2013年10月。そこは日本武道館。目の前にいたのは世界で一番好きなアーティストで、隣にいたのは世界で一番素敵な女の子だった。開演を待ち望むファンとチケットを求めるファンで武道館は囲まれ、警備員が必死に車の誘導をしていた。黒色の生地に黄色い文字でツアー名が書かれたTシャツを購入して制服から着替えた。「似合ってるよ」と言われて嬉しくなった。2階の左側でステージからはそう遠くない場所。「私コンサート初めて」これは彼女の言葉だったか、それとも違う子だったか。ステージには白色の大きなカーテンが引いてあって向こう側は全く見えなかった。楽器の試奏だけ興奮は最高潮。定刻と共に会場が暗がりに包まれた。

数秒の静寂。呼吸は確かに二つ聞こえた。

始まりの合図。響くドラム。歓声に包まれ興奮は武道館から吹きこぼれる。始まりの曲は”Stage of the ground"

 

そしてあの曲に出会う。興奮冷めやらぬ中、ボーカルが何気なしに口にした。

「今日は未発表の曲をやりたいと思います。それでは聞いてください」

その言葉に胸骨を打ち付けるように心臓が高鳴る。

「RAY」

世界で一番幸せな私がそこにいた。

 

RAYmあの日を思い出させる。大好きな曲だけど、一番好きな曲だけど今の自分には少し苦しくて痛い。

前の車のテールランプに合わせてブレーキを踏む。車の流れが鈍くなってきた。200m左折を指示するナビには真っ赤な直線が会社まで伸びている。

 

"マルバツサンカクどれかなんて"

"皆と比べてどうかなんて"

"確かめる間もないほど"

"生きるのは最高だ"

 

到着まで50分。

口に近づけたタバコの灰が足元に落ちた。

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