淡々と、かつ着々と。

やるせない26歳が綴るこれは独り言

新しい環境で2ヶ月経ちました。

ジャケットを羽織るには厳しい季節になりましたが、下っ腹の膨らみを隠すためにいまだ手放せない日々が続いております。

 

新しい環境に辿り着いて2ヶ月が経ちました。

やっと普通の組織(法令遵守的な意味で)に属することができました。まだ本格的な業務には携わっていませんが、これから一生懸命頑張れるだけの環境が整っていることは確かです。

また、ここは大企業ではないですが、敷居がめちゃくちゃ高いベンチャーというわけでもないですが、新卒だったら絶対に入れなかった会社だったと思います。意図しない形でキャリアアップ?を果たしていたようです。

大学卒業したのにジャージにスウェットで路頭を彷徨っていた4年前。固執していた自分がやりたい仕事という幻想を捨てて、"今の自分ができること"を軸にして仕方なく仕事を探してたまたま入れた業界がたまたま性に合ったようです。その"自分ができる"というのも入社してすぐに勘違いだったと気付かされるわけですが…

 

ただ、あの勘違いがなければ一歩踏み出せなかった、そして今ここにいなかったと考えると井の中の蛙的な過信、つまり自惚れというのは我々が生きていく上で失ってはいけない心持ちなのかもしれません。

ひとはそれを「若さ」と呼ぶのだから。

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第二新卒でもなくキャリアもない若手の転職市場について

転職活動が終わったのでここにまとめたいと思います。

俗に流れる転職情報は有能ハイクラス人材や謙遜的有能人材に向けたものが多く、それゆえ「若手ならみんなホワイト大手に転職できる!」と言わんばかりの威勢に溢れた情報ばかりですが、しかしそれに釣られるのは無能ロークラスや傲慢的無能という皮肉が大変面白いところであります。

 

さて私生まれも育ちもキャリアも偏差値50を過ごしてきまして、これは謙遜ではなく本当に偏差値50に自負を持ちながら過ごしてきたわけでありまして、それ故に"一般的な若手の転職"を語るに足りるだろうということでここに稚拙な情報だけではありますが、まとめていきたいと思います。

 

 

大手に転職可能か。

A.不可能に近い

無理です。「いやいや私は僕は実際に……」と成功体験を語り出す人は謙遜的有能です。理想的な待遇でサーチをかけると輝かしい求人が沢山出てきますがそのうち8割はスキルで足切りされます。同時に「えぇ!若手でも3年でこんなに経験を詰めるものなのぉ!?」と外の世界にビビります。

そこに煌めく文言が登場。「未経験可」

ですが、これも仕事というよりお金をもらえる作業を何となくこなしてきただけの人には無理です。それっぽくエントリーシートを埋めた先にあるのは手切れ言葉に相応しいお祈りだけでしょう。

中には可能性に詰まった若手に広く門戸を開放している大企業もありますが、そういう企業は採用されてから本当の篩がけが始まるというのは言うまでもないでしょう。

 

違う業界、異業種に転職可能か。

A.大変難しいが、不可能ではない。

営業などの潰しが効く職種であれば業界変えは想像よりも容易だが、スポットライトが当たる業界はやはり厳しい。そういう意味でも学生から社会人になって初めて経験した1社目は重要な意味を持ってたなぁと実感する。もしあなたが新卒なら多少待遇に満足いかなくとも興味ある業界、もっと言えば嫌いではない業界を選ぶべきだ。

私も最初は異なる業種で仕事を探していたが、「なぜこの業界で働きたいのか」という基本的な質問に「おもしろそうだから」以上のことが見出せなかった。「おもしろそうだから」で採用していただけた企業もあったが、仕事に生きることで幸せになれると言わんばかりの待遇であった。それもまた幸せの形ではあるが。

 

逆に同業他社であれば3年ほどの経験を積めば、まず書類で落とされない。これは大手も然りであるが、求められるスキルが足りず一次で撃沈する。中小であれば実務経験を踏まえてフランクに自己PR、そして面接での深掘りも業界の共通言語でテンポよく交わせるため、あとは自惚れず謙虚にこれまでを語れば好印象にならないわけがない。

ということで私の新天地は同業他社である。理想や興味で選ぶのではなく、"嫌いではない業界"。なんだかんだそのくらいの距離感が仕事はちょうどいいのかもしれない。期待してない分、裏切られることもないから。嫌いじゃない分、好きになるかもしれないから。

「好きな仕事を探すより今の仕事を好きになった方が手っ取り早い」と多くの先人も言ってるが、仕事論における最大のアフォリズムなのではと思うこの頃である。年取ったなあ俺。

 

転職はすべきか?

A.知らん。

転職が終わった途端に成功体験として語り出すのはSNS儀礼のようなもので「いやいやまだ仕事始まってないのに成功はないでしょ」と無粋なことを呟いてはいけない。

求人票の情報だけで会社の本当の姿は測れない。それは転職を考えている多くの人が経験から理解したことであろう。数字は嘘つかないというが、数字が1番誤魔化しやすいことも。

なのでここで転職について肯定も否定も私はしない。だが年齢と共に選択の幅は確かに狭まる。これは第二新卒ではなくなった26歳でも十分に実感できた。結局のところ勢いで始めた転職活動なんて鬼が出るか蛇が出るか、人生賭けた丁半博打。しかしそれに勤しむのも、自分のことだけにとことん悩める幸せな若者に許された特権であろう。

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転職活動日記その1

転職活動始めました。

次長、部長とも話をつけたのであとは社長とのドキドキワクワク面談が無事通れば1月中旬に辞める予定です。

人生単位で変化を迎える時の不安は一人暮らしに響き渡るテレビ音に乗って重くのしかかりますが、期待へのドキドキも滴る台所の鳴き声に乗って私の心を揺らします。

それもまた若さ故でしょう。26歳になってもまだ自分の将来に可能性を持てることは幸せなことです。そしてまた自分のことだけでとことん悩めるのも若さの特権なのです。

私はこのブログで当時のありのままの自分の言葉を残します。さて10年後見返したとき私はどう思うでしょうか。若さに期待しすぎだ、自分を過大評価してる、今の職場にいた方がいいよ…どう転んでも首を絞めたいくらい愚かに見えるでしょう。しかし残念ながらこれが今の私であることに間違いはないのです。幼稚な言葉をつまみながら1人酒でも啜ってください。もしそこに家族がいるなら温かなご馳走と共にテーブルに並べてください。ってこの独り言を他者に向けて発信する必要性に関してはあえて言及しませんが。

なんにせよ、退職の旨を伝えた以上本格的に転職活動を始めざるを得ない環境になったわけです。今までも環境を変える機会はありましたが動くことがなかった私はやはり、努力できる環境ではなく、努力せざるを得ない環境でないと動けない怠け者のようです。こういった自己分析も学生のうちに終わらせておくべきだったのですが。

短期離職をしてしまった私が、人材として信頼を回復するために必要なものは実績や資格ではなく、ちゃんと会社に勤めたという実績でした。この約3年間。耐え抜いた3年間は無駄ではないし自分にとってたいへん有意義な時間だったと思います。

やっとスタートラインに立てました。歩くか走るかまだ決めかねていますが、前に進むことに違いはありません。どうぞ寛容な心で応援していただけると幸いです。

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新卒で早期退職したあの頃を振り返って。

今の会社に入社して3年が経とうとしている。新卒1週間(正確には8日)で退職したあの日からもうそれほど時間が経ったのだ。時間の流れは早いねと何度も言ってるうちに第二新卒の肩書きを堂々と使うことに躊躇う年齢になってしまい、何でもできる!無限の可能性が狭まったおかげだろうか、この頃落ち着いて昔を振り返れるようになってきた。まだまだ幼くて精一杯言葉を並べてる自分が向こう岸で叫んでる。たった3年前なのにだいぶ遠くにきたみたいだ。

今日は久しぶりにお休みをいただいたので(社畜謙譲語)、少し文字にして振り返ってみたくなった。

reyu.hatenablog.com

長らくこのブログを読んでくれている方はご存知の通り、当初はとにかく"!!"で溢れていて、行き所を無くした感情の昂りがヤバかった。

退職後に昂りそのまま友達に愚痴った。その時返ってきた言葉は「みんな我慢してるんだよ!」「いくらなんでも早すぎる」「ほんとおかしいよ」。叱咤叱咤叱咤…ときたま同情または憐憫。開く口に酒を流し込まれ心身共にフルボッコにされた。

1人寂しくなってSNSを覗けば「同期と飲みに行く〜」「研修がめんどくさい」と社会人が画面を埋める。そうやって社会人アピールをして無職の私を見下してる、誰も俺のことなんか理解できないし、心配してないんだと日々嘆いていた…

振り返って。うーん、そりゃそうだわな。新卒1週間で辞めたやつの気持ちなんか普通の人には分からないし、分かりたくもないし、分かる必要もない。私もさっさと忘れたい。無職の私を見下してる?んな当たり前だ、五体満足で大学まで出てるのに仕事してないんだもん。誰も心配してない?本当に心配してなかったら一緒に飲んでくれないだろ!よくもまぁここまで落ちぶれてたものだ。

しかしそれに気づけてない私は既存関係からの孤立、普通から離れていく孤独感に苛まれ、縁起でもないが"この世界から消えてしまいたい"そんな感情に縛られていた。

だから私は新しい関係を求めて縋る様にTwitterを始めた。NEAT垢の誕生である。ここもだ〜いぶクセが強かったんだけど、それはまた別の時に。

 

新卒1週間で辞めたことに自分はここまで追い詰められてしまった。それでも正解だといえるのか。

正解だった。

間違いだったとすればあの会社を選んでしまったことだ。ただ速攻で辞めるのではなく、給与が交通費と相殺できるタイミングで退職をかましたのは大正解だった。

仕事を辞めたことで得たことも沢山あった。明日も仕事なのに無職と飲んでくれたり、夜中ドライブに誘ってくれて励ましてくれたり、しばらく会ってない友達が心配してくれて久しぶりに再会できたり、留学に行って一年卒業がズレた友人と一緒に海外旅行に行ったり。ほんと周りに助けられたのだ。あらためて友人の存在に心から感謝した。みんなありがとう。

 

なぜあの瞬間、辞めようと決心したのだろうか。辛い、の内側にある本心を今掘り起こしてみる。

私はあまり汚い言葉を文字に残したくないのだが、新卒で入ったあの中央区にある広告代理店はゴミのような…否、ゴミだった。

 

「あの人たちみたいになりたくない」

 

辞めた理由はただそれだけだ。

思い返せば悪い人たちではなかったのかもしれない。彼らは私に意地悪をしようとも、いじめてやろうと、早く辞めさせようとも思ってなかった。むしろ若者の入社を歓迎し、喜び、ただ"フツー"に接していたのだ。しかしその会社のフツーが私には到底受け入れられるものではなかった。

手厚い研修を望んでいるわけじゃないし、教育体制が整った組織が正義だとも思わない。会社の数だけフツーがある。私はたまたまそのフツー合わなかった。それだけ。

大人になる、それは自分の鋳型を所属する組織に削り合わせていくことだ。天才はそのまま形で世界に受け入れられてもらえるが、凡人はありのままでは社会にハマれない。だから自分が比較的心地いいという居場所を精一杯探す、それが就活だ。私はそれを怠った。

あの時、私は会社にかたどられた自分を想像した。それは夜道に束になって転がっているゴミに見えた。汚らしいそれはリサイクルできるかもしれないし、肥料として活用できるかもしれない。人によってはアンティークと形容するかもしれないし、夜道を離れたところでは素敵なパパとして利用されているのかもしれない。だから私は彼らが無価値だとは思わない。しかし私が見ている世界では彼らは汚らしいゴミ同然だった。

私はゴミになる前に離れた。というより自分がゴミになることを恐れて逃げた。ということである。そのせいで無職という彼ら以下のクズになってしまったのは最大の皮肉だが笑

 

そもそも就活を怠ったという意味で大学4年の自分は腐っていた。しかしその後の人生をダストボックスで過ごす必要はない。もしかしたら発酵して旨味が増すかもしれないし、乾燥させれば保存食になる可能性もある。だが間違いなく鮮度は日に日に落ちていく。期限が見えてきてやっと体が動き始める。私は夏休みの宿題は最終日に終わらせる性分なのだ。

さて、これからどう自分を加工していこうか。楽しみで仕方ない。

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過去記事

reyu.hatenablog.com

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責任者を問いたい

そうだ、転職しよう。

 

これまで仕事を辞めたいと思ったことは一度や二度ではない。三度あった。

今回の転職宣言は4度目の正直か。そして5度、6度と終わりなく”転職”を愚痴り続けるのがJTCのサラリーマン。そこに片足を突っ込んでいる私は「愚痴で溜飲が下がる程度ならそれは自分に合っている環境なんだろうなぁ」と半ば諦めの境地に鎮座する妥協を受けれつつも、釘は熱いうちに打てという言葉に倣い、テレワーク民にたいする嫉妬熱が冷めないうちに転職市場という材木(廃材かもしれないが)に細く短い私のキャリアを打ち込んでみて、はたしてどのように刺さるのだろうかと興味がある。

 

転職理由は多すぎて上げきれないが、一つ大きな気づき、ここにいては近いうちに"こうなってしまうな"という自己変化の機微にたいする不安がきっかけでした。はたしてその不安の根源が、会社を俯瞰する立場からのものなのか、それとも最下層に位置するものなのか。システムされてない環境で将来に尽くすことの難しさを書き連ねていきたい。

 

経済大国日本と呼ばれたのは遠い記憶で、我々20代はバブル崩壊後、止まることのないテクノロジー成長の影に隠れてなんかヤバくなっているらしい日本の中を漠然とした不安を抱きながら過ごしてきた。不景気や政治不振などは我々の時代に限った話ではないが、ここ最近は特に「この国はもう終わりだ!」みたいな世紀末キャンペーンが隆盛している印象も受ける。

 

そんなニュースを聞くたびに思う。

こんな酷い国に誰がした。

それは大人たちだ。

大人がちゃんとしないからこんなことになってしまったではないか。我々の年金はどうなるんだい、物価だけ上昇してこれからの生活どうすればいいんだい。こんなんじゃ未来ある子供たちは幼心のうちから国に不安を覚えてしまうよ。

責任者を問いたい、その大人とは誰か。

 

私たちである。

 

そうかぁ!私たちはもう大人になったんだ!あはは!

じゃあ日本の将来、子供たちのためになにかするぞぉ!

 

とはならない。する余裕もないし、する気力もない。別に心無いわけでもない。助けたいけど、立ち上がりたいけど、自分のことで精一杯だから見ず知らずの子供の将来という漠然すぎる目標のために労力を使いたくない。もちろん可哀想だなと同情はするが、それよりも大事なのは今、今の自分、だし。

それに将来を改善したところで恩恵を受けられない可能性がでかい。自分のキャリアを逆算しても達成するのはウン十年後になるだろう。確約されない将来のために何かを”変えよう”としたリターンは期待できないし、失敗のリスクの方が鮮明に見えてくる。だったら手が届く範囲の自己変化、環境改善をしていく方がコスパがダンチである。先行投資ならぬ先行奉仕はそのギャンブル性が高すぎる。

 

と、冷めた意見を並べさせてもらったが、これは中高年が持っている考えとして珍しくない。だがおっさん批判をするつもりはない。国の未来のために選挙に興味関心を示さない若者の我々も遠かれ近かれ同類だからだ。

彼らの意見は何も間違ってはないない。自分を一番可愛がり、自分が手の届く範囲に精を尽くすのは間違いではない。会社なんか定年迎えたら関わることはないし、国なんか天命を全うすれば二度と訪れることはないのだから二の次、三の次で結構。

定年繰下げとか年金問題とかAIが仕事を奪うとか色々言われいるけど、俺たち平成世代が生きている間はまぁ大丈夫っしょ。いずれ青臭い令和世代から

「こんな日本にしたのはお前ら平成世代が何もしなかったせいだ!」

と甲高い声でビービー言われるんだろうが、焦る必要はない。先人たちの言葉を借りて

「いやいや俺たちの時点で手遅れだったよ。次は令和の君たちの時代なんだから君たちが頑張りたまえ」

と大人の余裕で聞き流すだけさ。

 

 

そうやって歴史は繰り返してきたのだろう。

だから私は弊社にたいして「こんな会社に誰がした!」と怒る気にならない。利益をあげる最終目標をクリアしつづけ、自分のことだけを考えて作業をすることで、生活費を稼ぐことができる環境。ちゃんと会社として機能しているのだ、むしろ理想的とも言えるかもしれない。しかし”組織”としては?

そんな自己中心的な環境をあてがわれた新人はどう思うか。

「こんか会社にしたのは先輩が何もしなかったせいだ!」と声を荒げるだろう。

ここにいる限り私もその手の不平不満を聞く立場になるだろうが、なにも心配してはない。セリフは決まっているのだから。

「いやいや俺の時点で手遅れだったよ。次はZ世代の君たちの時代だから……」

 

 

 

そうはなりたくないものである。

そうだ、転職しよう。

 

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某ベンチャーの動画を見て

 

炎上ではなく巷で話題か。

ベンチャーの呟きがプチ炎上している。

いや不祥事を起こしたわけでもないし、悪態をついたわけでもないので炎上という言葉は間違っているような気がしてきた。

あらためて某ベンチャーの呟きが巷で話題になっている。

 

『弊社、〇〇〇、こういう会社です!!!!!!!』

と元気がいい挨拶文共に10秒程度の”会社紹介動画”がその会社の人事担当を名乗るアカウントから投稿された。

 

問題となった?のはその動画。ポージングをきめた3人の女性社員が突如不思議な踊りをしながら会社紹介を始める。百聞は一見にしかずでまだ消されていないなら見てほしい。

これにたいする私の結論は「自分には合わないなぁ……」だった。遅れて「右の子がタイプだなぁ」くらいだった。

 

しかしこの動画に否定的な反応をする人が多く見られた。

『しっかり老けてるのに頭の中はまだ学生のノリを引きずってるの可哀想』

『やっぱり学歴と職歴は大事だな』

『こちゃ秒で病みそうだな』

はて、会社紹介という目的で職場の雰囲気を包み隠さずありのまま投稿したのに、なぜ外野から批判がバコバコ飛んでくるのか。

 

はたして社会人とは。

ぶっちゃけて言えば、最初に動画を見た時私もあまり良い印象を抱かなかった。その動画の光景に”社会人らしさ”を見出せなかったからだ。

しかしこの”社会人らしさ”というのは非常に抽象的な表現である。そもそも社会人とはな何か。自己啓発系で耳タコの問いだが普遍的な社会人というものを私は知らない。結局、経験の枠組みを超えて”社会人”の意義は語れることはできないのだろう。

つまり私は無意識に今自分が置かれている環境を”社会人”と位置付けた結果、反射的に動画で踊ってやがるやつらは社会人から乖離していると判断してしまったわけだ。

冷静に考えれば分かることだが、紙大好きな昭和文化プンプンの下町育ちの弊社とフレッシュでインテリジェンスで渋谷に会社を構えるこの会社では、所在位置も離れているし価値観はもっと離れている。

だが、お互いに”誰かの役に立つことをして利益を得ている”という点では共通している。この会社は人材系らしいので思うことが沢山ある人もいるだろうが詐欺まがいの行為、人を陥れて利益をぶん取るといった違法なことはしていないはずだ。つまり会社としてしっかり機能している。

会社に属する労働者という括りでは私も画面の向こうでコンブダンスしている女の子たちも一緒になる。

ということで、そりゃ人の数だけ働き方はあるよねー。空気は絶対合わないけど同じ労働者ってことで頑張りましょ。とそんな感想に落ち着いた。

 

ところがどっこい、やはり職場で踊る人たちを社会人と認めない層は一定数いる。なぜだろう。それは”真面目に働く”というステレオタイプが美意識として残っているからだと思う。

 

だがこの”真面目に働く”も定義が難しい表現だ。昨今の情勢を見る限り会社に尽くす謹厳実直マンを意味しないのは確かだろうが…

ここで私が考える”真面目に働く”とは、”社会人としての自覚を…”ってダメ、これダメだ。社会人とは?に戻って堂々巡りになってしまう。つまり社会人の意義が人の数ほどあるならば真面目に働く姿勢のあり方もまた星の数ほどあるよねってことだ。

このように抽象的な言葉の意義は当人の視点、もとい経験値によって決まり、また変化し続ける。たとえば”幸せ”とか”やりがい”とかである。

今回のプチ炎上もいわば形もサイズの異なる異物(抽象概念)を自分の意義に落とし込もうとした結果生じてしまった反発なのだと私は思う。

「人によって考え方違うよねー。ふふふ」

程度にしておけば誰も傷付かず済むのに、ベンチャーを蔑称のように使って”社会人らしくない者たち”を嘲笑してしまう人は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」というお母さんの教えをあらためて考えてみた方がいいと思う。

 

昭和的な労働観の最後の担い手である私たち

とはいっても、先にも述べた通り私は最初動画を見た時、良い印象を抱かなかった。

ウチヨソとは理解しつつも根底に眠る”社会人らしさ”は一体どこからきているのか。

それは両親の存在が大きい。幼い頃から今日に至るまで1番近い労働者は両親だった。毎日朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくる。疲れたと口癖のようにいいながらもけして投げ出すことはしない。家に持ち帰って仕事をし続け、子供と遊ぶ約束よりも仕事を優先して出かける。私はそんな両親の背中を見て育った。きっとその姿が”真面目な社会人”として根付いているのだろう。なので楽しくダンスをしている会社員という絵面に少しだけ嫌悪してしまった。彼らもまた朝早く家を出て、夜遅くに帰ってくる真面目な社会人かもしれないのに。

 

働き方改革や多様性を肯定しつつも、小さなズレに気づいているのは私以外にもいるだろう。だがそれはもう仕方がない。これは血に刻まれた日本人的な労働観なのだ。恥じることも無理に上書きしようしなくていい。ただひっそりと胸の奥にしまっておけば良い。

真の意味で日本の働き方改革が成し遂げられた時には

SNSを使った会社紹介なんて古すぎますよー』

今度は私たちの”時代”と”新しさ”が否定されることだろう。そしてこう言葉は続くのだろうか。

 

『そもそも肉体を使おうって時点でダメっすよ。時代はメタバースなんスから』

 

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関連記事

2年前も似たようなことをぼやいてた。

reyu.hatenablog.com

 

フレッシュな立場から放たれる"正論"はウザい

何度転職しようとも最初に入社した組織の価値観は抜けない

 

私が尊敬する人の言葉です。まだ学生だった私はその言葉を言葉のまま受け止めるだけでしたが、25歳を迎えその言葉の本質が分かってきた気がします。

 

ご存知の通り?私は残業代を払わない、いくら残業しても給与明細の残業時間が0と記載される企業に勤めています。

言葉にすると労働法すら守れないブラック企業なんですが、実は弊社がブラックだ!と実感したことは少ないのです。

なぜなら残業代が出ないことが会社の当たり前だったからです。

残業代という制度はもちろん知っていますし、入社当初は

「営業は残業代ないの普通だから」

「!?!?!?」

とはなったものの、会社全体で「不満だけどしょうがない」雰囲気があるとそれに飲み込まれてしまって最終的には

「まぁ、しょうがないよね営業だし」

と納得している自分が誕生しました。

 

しかし、この話を聞いた友達のドン引いた表情を見ておかしいことだと気付きました。私は不幸自慢でもなくただ

「社会ってこんなもんだよねー…はは」

と憂いを帯びた語り口で呟いただけなのですが

「いや、社会はそんなんじゃないから!普通にブラックだから!」

と怒られてしまいました。

それでやっと

「まあ確かに自分の力不足で仕事が遅くなるならまだしも、クライアント都合で残業せざるを得ない状況なんか多々あるし、道路混んでたら普通に帰社が定時過ぎになるし、てか早出をしなきゃいけない日の早出残業代も一切貰ってないぞ……これはブラックだ!」

と気づいたわけです。

 

外側から言われて初めて気づく。

知らぬ間に会社のカラーに染まっている自分に驚きました。入社当初は「おかしいですよね!?」と上司につっかかってた私も、今やその組織の当たり前を受け入れていました。

 

てことで転職活動を始めました。

残業云々はきっかけの一つにすぎなくて色々他にもあるんですが。

 

仮にホワイト企業というのが相対的なものだとすれば、私の尺度から測る限りホワイト求人が多さに驚きます。

当社比で考えると世界が真っ白になります。もちろん待遇面だけで職場環境は分かりませんけどね。ああ完全週休二日制のところで働きてぇ〜

 

あ、ちょっと話を変えますが完全週休二日制の罠についてお話します。

求人に完全週休二日制(土日祝)休みと書いておきながら実際は土日出勤が毎週のようにある会社が存在します。

「完全週休二日制って聞いてたのに休日出勤あるんだけど!!ここはブラックだ!」

実は限りなくブラックに近いグレーです。村上龍っぽさを狙いました。

完全週休二日制

これに恐ろしい但し書きを加えるなら

 

(休日出勤がないとは言ってない)

 

が加わります。

そう、ちゃんと休日出勤手当を出すなら休日に働かせてもなんら違法ではありません。悪質なトラックです。

年収例が極端に高い企業は休日手当込みの年収だったりするので気をつけましょう。

特に新卒のみんな!気を付けてくれよな!

 

閑話休題

 

入社当初は「俺がこの環境を変えるんだ!」と意気込んでいたころもありましたが、今は全く思いません。

なぜなら、会社を変えることはめちゃくちゃ大変だし(何を今更)、なによりその変化は先輩社員の方々のメンツをつぶす行為になるからです。

 

おかしな職場

時代遅れな働き方

これはあくまでも一年ちょっとしか勤めてない私から見た主観的な意見でしかありません。

その環境で長年頑張ってきた諸先輩方が沢山いる。その人たちにたいして、新人が”正論”をぶつける。これめちゃくちゃウザいんですよ。

 

例えば私は今普通に仕事で悩んでるわけですが、このブログや呟きを見た高校生や大学生が私に

「え、なんで就活頑張らなかったんですか?そもそももっといい大学に入っとけば選択肢は広がったのでは?つまり会社のせいじゃなくて最初から全部あなたのせいでは?」

と"正論"をぶつけられてみなさい。

私はキレる。

その通りなんだけどよぉ!

お前ら何も知らないだろうが!!

 

そう。

何も知らないフレッシュな立場から放たれる"正論"ほどウザいものはありません。

新人が思い付く程度の改善案なんて既に誰か思いついてるし、提案の姿勢が『そんじゃ、あとは会社がどうにかしてくれよな』ってどこか他人事。

会社を背負って仕事してる立場からしたら「なんやこいつ、何も知らんくせに」ってことです。

 

片手に満たない勤続年数で全容が見えてくるほど会社はクリアではありません。

長い歴史の中で様々な葛藤があって、潰れてった改善案も、しみついた愚案も、何で残ってるかわからない風習もあって、何かを変えようものなら部署間の利権に挟まれ、奥歯を噛み締めながら妥協を繰り返した先に今の環境があるのです。

そこに入社したての若者が

「え、それだと組織力が培われませんよね?その働き方時代遅れだと思います。そもそも会社のシステム全体がアナログすぎませんか?もっとデジタル化進めましょう。やっぱり僕は紙よりもタブレットでいいと思うんですけどね。あともっとキャリアの深掘りができる環境を目指すべきだと思うんですよね。実際に他社では〜…」

なんて理想だけを押し付けるようなご提案をしてみんしゃい。

めちゃくちゃウザいし、先輩方にこう思われておしまいです。

「いやーほならね、自分でやってみろ!って話でしょ?私はそう言いたい」

 

つまり会社のカラーに染まれない者は、去るのみ。

土台となる仕事の価値観はここで培わせてもらいました。あとは立つ鳥跡を濁さずの精神で頑張っていこうと思います。

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凡人的転職思考の解決法

教育、労働、納税は国民の三大義務と言われています。例外はございますがこの三つは直線的に繋がっている。教育の先に労働があり、労働の先に納税がある。例外というのは教育を放棄してもこの世には様々な労働がありますし、労働をせずとも納税ができる程度の収入がある人もいるわけですが、ただ私のような凡人はそこそこの教育を受け、ほどほどに労働をこなしながら、コツコツと納税をして行くのが余生の常になります。なにかオイタをしなければこの構図のまま40年後の定年まで続いてくわけです。この”不変”に凡々の若者は不安を感じ、このままではいけない。変わらなくちゃいけないと焦燥感に駆られるわけですが、そこそこの教育で培った頭脳で打開策がぱっとひらめくわけもなく、たとえ閃いたとしても行動力に縁がない故の現状でしょうから、考えるだけ考えて悩み疲れて布団に入り、登る朝日に目を覚ませば自ずと今日も義務の遂行のため体が動いているというのがオチでございます。

 

私もそんなバカモノ……若者の一人でありますから、仕事を終えるたびに転職について考えるわけです。労働をしたくないと言っているのではありません。労働そのものから距離を置きたいと考えたことは一度もない。めんどくさいと呟いた回数は数え切れませんが。

このめんどくさい作業が義務だなんてたまったもんじゃない。日本に住んでいる日本人である以上仕方ないのかもしれません。しかしこれが避けられない義務だというならよりよい環境を所望する。よりよい環境とはなにか。それは自分でもよくわかっていない。やはり私はバカモノなわけです。

この曖昧な不安を私は年配の上司に相談してみますと口を揃えて「目の前の仕事に集中すれば…」から始まり「その先に見えてくるものがある」と続きます。今の仕事を続けることが今の私のレールとなっているのは紛れもない事実であります。このレールを進めば景色も自ずと変わって行くことだろう。まだ見ぬ未来のためにあてのない希望を握りしめながら若さと靴底をすり減らして前に進む。だがきっとその先で与えられるのは落ち着いた諦観的な生活ではないだろうか。受け取ろうと伸ばした手元にあの頃の希望はすでになく、あるのは心許ない貯金と深く掘られたシワだけ。そんなエンディングを勝手に想像して悲観的になって"満足してしまう"。これがまさに私の凡人たる所以なのであります。

 

そんな将来への不安を考えるたびに社会学古市憲寿氏の言葉を思い出します。

『人はもはや将来に希望を描けない時に「今は幸せだ」「今の生活が満足だ」と回答するというのだ』

『人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」になることができるのだ』

絶望の国の幸福な若者たち/古市憲寿

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